書評・最新書評

会津という神話 〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉 [著]田中悟

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2010年04月25日

[ジャンル]歴史 人文

表紙画像

■呼び戻された「悲劇」の死者

 「いまだに長州への怨念(おんねん)を抱いている」
 お酒の席でそんな思いを吐露する会津の人と、私はこれまで何度も出会ってきた。幕末の戊辰戦争で長州軍にさんざん痛めつけられた会津は、いまでもその時の恨みを忘れていないというのである。
 しかし、本書の著者はそのような感情は戦後になって高揚したもので、戦前・戦中の会津では、長州人と同じ「勤皇精神」の持ち主だという思いが大勢を占めていたという。「長州への怨念」は、戦後に「無垢(むく)な敗者」「近代日本の被害者」というアイデンティティーを獲得する過程で、あらためて喚起され直した感情だというのである。
 戊辰戦争の死者は、明治政府によって「賊軍」とされ、国民の物語から排除された。しかし、会津の人たちは勝者による物語の独占に異を唱え、自分たちこそが真の勤皇の志士だったと主張する。そして、国民の物語への吸収を悲願とした。
 この願いは、1928年に会津松平家の節子(勢津子)と秩父宮雍仁(やすひと)の縁組が実現することで果たされる。さらに30年代後半、徳富蘇峰が各地で行った講演で、「会津は逆賊などではない」と強調し、その「尊王の大精神」を称揚したことによって達成された。そして会津の「勤皇精神」は「大東亜戦争」中に国民が見習うべき規範という地位を確立し、絶頂期を迎える。
 しかし「大東亜戦争」の敗戦によって、会津の人々はこの物語をリセットし、司馬遼太郎による「悲劇の会津」という新たな物語に飛びついた。会津人は「軍国主義の寵児(ちょうじ)」という側面を「忘却の淵(ふち)に沈め」、好都合な「司馬史観」に乗り換えたのである。その過程で白虎隊の「非業」や「純粋さ」が神話として再設定され、会津の観光化の中で利用されていったと著者は主張する。
 会津にとっての二度の敗戦経験は、どのような記憶を紡ぎだし、何を忘却していったのか。本書の問いかけは、会津という空間を越えて、靖国神社に象徴される「国家と死者」の問題に鋭いメスを入れている。
 〈評〉中島岳志(北海道大学准教授・アジア政治)
      *
 ミネルヴァ書房・6825円/たなか・さとる 70年生まれ。神戸大学助教(政治学)。

関連記事

ページトップへ戻る