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「戦争経験」の戦後史ー語られた体験/証言/記憶 [著]成田龍一

[評者]高村薫(作家)

[掲載]2010年04月18日

[ジャンル]歴史 社会 国際

表紙画像

■戦争を記憶する視座を求めて

 私は近代日本がアジアを蹂躙(じゅうりん)した歴史を知っているが、それでもなお、元従軍慰安婦の人びとが日本人に向ける眼差(まなざ)しの凄(すご)さにはドキッとし、何かしら噛(か)み砕けない思いを抱く。彼女たちは、戦争を語ることが自身と社会のレゾンデートルであることを正しく証明しているだけだが、加害国であり敗戦国である日本の国民には、同じことがいまも著しい困難を伴うのだ。
 とはいえ戦争は他者との関係である。アジア諸国がかの戦争を記憶し続ける限り、日本もまた、何らかの今日的な文脈で戦争を記憶し続けるほかはない。しかし、どうやって?
 本書は、そのための視座を、さまざまに戦争を総括してきた戦後史全体に求めるものだが、それは時代とともに変容してきた戦争像を一つ一つ相対化する試みでもある。戦争体験者たちが戦後に記した夥(おびただ)しい数の戦記も、引き揚げや抑留の体験記も、はたまた公刊戦史や歴史学者の手になる通史も、戦後の時間経過のなかでは絶対ではない。
 また終戦から二十年も過ぎると、空襲や原爆の体験者が未体験者に証言を残す時代になり、何をどう伝えるかという新たな視座の下、戦争像はさらに多様化してゆく。もはや社会全体で共有する事実はなく、何を事実とするかで証言の宛(あ)て先が変わり、宛て先が変われば、戦争を語る文脈が変わる。戦記の書き換えが進み、加害の視点を含んだ語りが始まり、戦争経験は個々の絶対的体験と歴史の事実の間で滲(にじ)み続けるのである。
 そして今日、私たちはこれまで記録されてきた体験や証言を手がかりにして、社会の集合的な記憶としての戦争を再構成する時代にいる、と著者は言う。目指すのは、戦時に何が起きたかではなく、戦時の出来事が二十一世紀の「いま」に対してもつ意味の探求と構築である。
 本書は『戦争の経験を問う』全十三冊のシリーズの一冊である。いまなお、かの戦争を含めた戦後を歴史化する視座が定まらない社会で、けっして先を急がず、偏らず、なおかつ前進せんとする意思に満ちている。広く読まれてほしい一冊である。
 評・高村薫(作家)
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 岩波書店・2940円/なりた・りゅういち 51年生まれ。日本女子大教授。『〈歴史〉はいかに語られるか』。

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