書評・最新書評

「死の舞踏」への旅ー踊る骸骨たちをたずねて [著]小池寿子

[評者]田中貴子(甲南大学教授)

[掲載]2010年04月04日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■絵画の背景にある危機意識示す

 キラキラ光るラインストーンのスカルにごついどくろの指輪。老いも若きも骸骨(がいこつ)ファッションが大好きな今ドキ。もう、かつてのような不吉さや死体への忌避観はほとんど見られない。その骸骨を骨まで愛する人が、本書の著者である。
 骸骨が死体の究極の姿であり死の象徴としておそれられてきたことは、死神(しにがみ)が骸骨姿で現れる西欧の絵や彫刻によって周知されている。「死の舞踏」とはダンス・マカーブルとも呼ばれ、西欧中世後期、骸骨姿の死者の踊りが絵画や教会の壁画に多数描かれたものである。
 その研究は、まず実物の絵画を現地で見ることから始まる。著者はおそらく、もっとも多くの死の舞踏絵画を現地で見た日本の研究者だろう。研究は旅とともにあり、本書のタイトルはそれを如実に表すとともに、この研究がいまだ旅の途上にあることを読者に知らせてくれる。
 そもそも「死の舞踏」は死が万人に平等であることや、生者のおごりははかないものであることが主題だとされてきたが、著者はむしろ死を受容し死とともに生きる人々の姿を読み取ろうとする。肉体の死だけでなく、社会そのものが瀕死(ひんし)の状態に直面したとき起こる危機意識がこの絵画の背景にあると指摘し、新しい知見が示される。
 死の舞踏が実際に劇として演じられ、民衆も参加したという記録を探り当て、中世人の身近に死があったことを立論してゆく過程はスリリングでもある。宗教者が説教に「死の舞踏」を使用したり、「一休骸骨」を思わせる版画の盛行により民衆が絵画を簡単に入手することができるようになったことなど、従来の学説から一歩も二歩も進んでいる。この、メディア面からの言及は興味深い。私は読みながら熊野比丘尼の地獄絵解きなどとの共通性を想像したが、さて、日本とのつながりや如何(いかん)。
 だが、何より好もしいのが行間にほの見える瑞々(みずみず)しい旅の記憶のかけらである。研究と旅とはとても似ている。「生きよ、人生は短い」と白骨の死神が時の鐘を鳴らす夕刻、著者の旅はこれからも続きそうである。
 評・田中貴子(甲南大学教授・日本文学)
    *
 中央公論新社・2310円/こいけ・ひさこ 56年生まれ。国学院大教授(西洋美術史)。『屍体(したい)狩り』など。

関連記事

ページトップへ戻る