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日中歴史認識ー「田中上奏文」をめぐる相剋 一九二七—二〇一〇 [著]服部龍二

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2010年04月04日

[ジャンル]歴史 政治 国際

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■偽書の研究から和解の未来開く

 1927年、時の首相・田中義一が昭和天皇に上奏したとされる「田中上奏文」。「田中メモリアル」として世界的に知られるこの文書には、日本が中国進出の手がかりとして満蒙を支配する手順などが書かれており、1929年以降、日本の侵略計画を示す文書として世界中に流布した。
 しかし、この田中上奏文は当初から偽書の可能性が高いと指摘されてきた。日本語の原文が発見されていない上、上奏文を宮内大臣宛(あて)にするなどの誤りが目立ち、研究者の間では偽書との見方が定着している。しかし、その内容が満州事変以降の日本の政策と軌を一にすることから、様々な情報戦に利用され、東京裁判では日本の一貫した「共同謀議」を裏付ける証拠文書として審理の対象とされた。
 著者は、この田中上奏文が作られたプロセスを多角的に検証し、その作成者を中国東北の排日運動団体の主導と結論付ける。そして、満州事変以前の中国・国民政府の外交部が田中上奏文を偽書と判断し、その誤りを「中央日報」に公表していた事実を突きとめる。さらに田中上奏文が、満州事変後の中国によって格好の宣伝材料として利用され、アメリカやソ連などの複数のアクターが、その時々の外交戦略の中で、この文書の取り扱いを操作していったプロセスを明らかにしている。
 著者は日中歴史共同研究に外部執筆委員として参加しているが、近年では田中上奏文を偽書と見なす中国側の研究者も増えているという。しかし、一度流布された「定説」は、明らかな偽造文書や俗説であっても否定するのは難しい。著者は、田中上奏文をめぐる一連の「相剋(そうこく)」から「国際政治における宣伝と情報の重み」を読み取り、和解の未来を切り開こうとする。
 綿密な学術書ながら、手に汗握る展開に導かれて一気に読み終えることができる。特に田中上奏文の作成過程の分析は、とてもスリリングでハラハラさせられる。長年繰り広げられてきた論争に終止符を打つことになるだろう研究成果に、心から拍手を送りたい。
 評・中島岳志(北海道大学准教授・アジア政治)
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 東京大学出版会・3360円/はっとり・りゅうじ 68年生まれ。中央大学准教授(政治学)。

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