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「集団人間破壊の時代」書評 大量虐殺看過した米国の不作為批判

評者: 久保文明 / 朝⽇新聞掲載:2010年03月28日
集団人間破壊の時代 平和維持活動の現実と市民の役割 著者:サマンサ・パワー 出版社:ミネルヴァ書房 ジャンル:社会・時事・政治・行政

ISBN: 9784623055883
発売⽇:
サイズ: 22cm/487,105p

集団人間破壊の時代―平和維持活動の現実と市民の役割 [著]サマンサ・パワー

 「二〇世紀は、アルメニア人、ユダヤ人、カンボジア人、クルド人、ボスニア人、またはツチ族であるという単なる理由から、死刑宣告を受けた世紀であった」。本書はこのような大量虐殺、すなわち「ジェノサイド」(本書では表題のように訳している)に、アメリカ外交がどのように対応してきたかについて、批判的に分析した重厚な研究書である。
 物語は、レムキンというユダヤ系ポーランド人弁護士から始まる。彼はアルメニア人虐殺に衝撃を受け、ジェノサイドという言葉とジェノサイド条約を生み出した。
 著者によれば、アメリカ政府の対応はつねに不十分で後手に回っていた。アメリカの不作為は単に無知だからではなく、政府の一部は十分に事態の深刻さを把握しながら、行動できなかった。アメリカとその同盟国は、ジェノサイドを阻止するチャンスを得ていたが、それを見逃した。とりわけアメリカ政府には、それを断固阻止するという意志の力が欠けていた。政府を動かそうとする市民の働きかけも弱かった。ここには、一貫したパターンがあると、本書は強く告発する。
 ボスニア問題を例にとろう。アメリカの国務省中堅官僚はかなり早い時期から、凄惨(せいさん)な大量虐殺が起きていることを察知していた。しかし、当時のジョージ・H・W・ブッシュ政権は、大統領自身、そしてベーカー国務長官、スコウクロフト国家安全保障担当大統領補佐官など、外交観でいえばリアリスト的傾向が強く、狭い意味でのアメリカの国益にとって、起こりつつあった大量殺戮(さつりく)の試みが深刻な問題であるとは認識していなかった。ブッシュ政権はジェノサイドという言葉の使用を周到に避けた。それに該当すれば条約上も道義的にも、行動することが求められてしまうからであった。政府高官はそれに代えて「民族浄化」という言葉を好んだ。こうしておけばアメリカ政府は行動を要求されないと判断したからである。
 むろん、著者はアメリカが単独で、しかも最初から軍隊を派遣することを提唱しているわけではない。ジェノサイドを阻止する責任は同盟諸国と分担すべきであるが、ただしアメリカはその中でつねに一定の貢献を果たすべきだというのが本書の議論である。それは、ジェノサイドが、アメリカが最も大切にする価値と利益に対する侮辱であると著者が考えるからである。
 ちなみに著者は2008年民主党大統領候補指名争いにおいてオバマを支持し、その後オバマ政権入りした。オバマ外交の一端を担う人物が著した書としても興味深い。
 周知のように、今現在、スーダンやナイジェリアで大規模な虐殺が行われている。彼女は中からアメリカ政府を動かすことができるであろうか。そして、日本はどのような行動をとるべきであろうか。
 本書は03年にピュリツァー賞を受けた。当然かも知れない。きわめてインパクトの大きい書である。
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 星野尚美訳、ミネルヴァ書房・5040円/Samantha Power 70年生まれ。92年にエール大学卒業後、コソボやルワンダなど世界の紛争現場から主要紙に寄稿。現在、オバマ政権の大統領上級顧問。