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読み解き「般若心経」 [著]伊藤比呂美

[評者]酒井順子(エッセイスト)

[掲載]2010年02月28日

[ジャンル]人文

表紙画像

■お経は詩であり、人間くさいのだ
 父親が亡くなった時から、死はにわかにリアルな問題として私の目の前に浮上しました。「人間、誰でもいずれは死ぬ」ということはやっとわかったものの、しかし自分の問題として考えてみると、実感としては理解していないような気がするのです。
 本書は、「死」についての本です。カリフォルニアに住む詩人の伊藤比呂美さんは、老いたご両親の介護のために日本に通います。いや応なく迫る死の気配の中で、著者はご両親が「安楽に死の境界をわたれるように、何か方向性をさししめしたい」と、お経を読んでいく。死を思う日々のエッセーと、その中で必要とされたお経と現代語訳とが渾然(こんぜん)となっているのが、この一冊なのです。
 介護の日々の中で「死に取り憑(つ)かれている」と著者は書きますが、しかし死を見る伊藤さんの視線は、好奇心に満ちています。「こわかった。吸い込まれるようであった。でもおもしろかった」という死に対する意識によって、伊藤さんはお経を「あたし自身のことばに置き換えてみたくてうずうず」しながら、訳していくのです。
 伊藤比呂美さんによって現代語に訳された般若心経、観音経、地蔵和讃(わさん)といったお経の数々を読むうちに、私が思ったこと。それは、お経とは、人が死(そして生、病、老)という苦に対峙(たいじ)した時にどのような心構えを持てばいいのかに関しての、昔の人たちからの申し送りのようなものではないか、ということでした。仏陀や昔の偉い僧たちも、死を前にして深く考えたのであり、その考えた結果を他の人や後世の人にも教えてあげたいな、と思って書いたのがお経なのではないか。
 お経は、伊藤さんのような翻訳者を待っていたのだと思います。「色即是空」という文字だけを見ると「何か、格好いい」と流れていきますが、「『ある』と思っているものは じつは 『ない』のである」と訳されていると、「そうか!」と納得し、お経とは詩であり、そしてとても人間くさくて面白くて役に立つものだ、つまり自分たちと同じ人間の手によって書かれたものなのだ、ということに初めて気付くのでした。
 様々なお経を著者とともに読んでいくと、死は身近なものになっていきます。やがてお母様の死に接した伊藤さんが目を転じれば、そこには3人の娘さんの姿。いずれも若くて生命力に満ちあふれているのですが、そんな娘さんの若さを眩(まぶ)しく見ながらも、「いつか萎(しお)れて、枯れるのだ」と、伊藤さんは書くのです。それは、生命を生み、育み、そして看取(みと)った経験を持つ人ならではの言葉でしょう。
 生は死とつながり、死は生とつながる。永遠に続くものは何一つ無いけれど、何かは確実に、つながっていく。死についてたっぷりと書かれた本ながら、読み終えるとさっぱりと明るい気持ちになるのは、そんなつながりが「死」の先にうっすらと、見えてくるからなのでした。
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 朝日新聞出版・1680円/いとう・ひろみ 55年生まれ。詩人、小説家。著書に『河原荒草』(高見順賞)、『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(萩原朔太郎賞、紫式部文学賞)、『日本ノ霊異ナ話』『伊藤ふきげん製作所』など。

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