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書物の変―グーグルベルグの時代 [著]港千尋/紙の本が亡びるとき [著]前田塁

[評者]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

[掲載]2010年02月28日

[ジャンル]文芸 IT・コンピューター

表紙画像

■文字を巡る環境の激変を考察

 ブログや電子本、世界規模で物議をかもすグーグルによる書物の電子データ化……文字を巡る環境は今世紀に入って激変し、「グーテンベルグからグーグルへ」などと言い表される。こうした問題を扱う評論集が同時期に2冊刊行された。両書は奇(く)しくも、初めに「紙と電子媒体」の現状を、次に過去の文化との繋(つな)がりを、最後に新世代の作品(アートと文学)を論じる構成だ。
 さて、仏の国立図書館に、バスク語で書かれた稀少(きしょう)な哲学書の手書き本が二百五十年間眠っていた(『書物の変』)。誰も読まなかったろうこの「本」は果たして書かれたと言えるだろうか。物質と記憶の関係を考察する港氏は、それでも「希望を捨てずに何でも書いておくことが大切」とする一方、今のデジタル社会では、書物がじきに「『配信』や『検索』といった機能の……端末にぶらさがる何かへと、縮減していってしまう」と案ずる。紙の本に将来は無いと予見する前田氏はさらにラディカルだ。ウェブ検索から外れた情報は消費価値を失うばかりか、「どんどんデブリ(残骸〈ざんがい〉)化」する。無限に書き換えられるウィキペディア的な言説の海の中で、もはや「本」は知の物理的な結節点として機能しなくなりつつあると言う。港氏は、このように固着性のない電子ブックをモノではなく「『状態』としての本」と表している。
 断片化した知の「雪崩的現象(カスケード)」の中で、古典作もツイッターの呟(つぶや)きも同次元の「データ」と化し、その間に存在した「中間項」は消失する。この中間項を書物の未来形でどう再構築するか。文学だけが今なお担いうるものは何か——そう問う前田氏の言葉には切迫したものがある。とはいえ、港氏が恬澹(てんたん)と述べる通り、千年後に振り返れば、紙の本の時代が石版と電子に挟まれた「例外的な時期」となることもあろう。今、世界各地では美しい活版や活字アートを愛する静かなブームが起きていると言う。活字印刷はやがて書道のように鑑賞すべき「芸術品」や「嗜好(しこう)品」となっていくのだろうか。
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 『書物の変』せりか書房・2520円/みなと・ちひろ▽『紙の本〜』青土社・1995円/まえだ・るい

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