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クォンタム・ファミリーズ [著]東浩紀

[評者]尾関章(本社論説副主幹)

[掲載]2010年02月21日

[ジャンル]文芸

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■情報社会の果てに交錯する並行世界

 こんな自分もありえた。あんな自分がいたかもしれない。人生は「なしとげられる《かもしれなかった》ことにも満たされている」。そんな可能世界に奇妙な現実感を吹き込む小説をいま、私たちは手にした。
 題名を日本語にすれば「量子家族」。現代物理の一学説が描きだす並行世界のイメージを借りて、複線のストーリーが交錯する。
 ミクロ世界では、原子や電子などが同時にいくつもの状態をとれる。それを身の丈の世界にまで広げて考えると、私たち一人ひとりが分身に分かれ、並行世界を生きてゆくという世界像も出てくる。これが、量子力学の多世界解釈である。
 分身のいる世界は、空のかなたに「ぽっかりと星のように浮かんでいる、といったものではない」。だから、この解釈に立っても並行世界同士は連絡のとりようがない。
 ところが、この作品では、IT(情報技術)が進むと世界間の壁が破れることになっている。2020年代に「ネットワークと並行世界の関係が公的に認められ」、別世界との通信が始まる。この架空の「貫世界」技術が妙にもっともらしい。
 それは、私たちが日々、発信元不詳のメールにさらされ、未知の人々とウェブでつながっているからだろう。この現実は、情報網の果てに別世界があるとの錯覚を促す。そこに、この小説の着想の妙がある。
 主人公は、07年の時点で30代半ばの作家兼大学教師。自分たち夫婦にはいないはずの「娘」が未来からメールを送ってくる。翌春、米国へ呼び出され、帰国すると別世界に入り込んでいる。空港のゲートでは、幼年時代のその娘が、妻と並んで出迎えていた。そこには「ぼくの知らない人生の痕跡があった」。
 異なる世界で異なる顔を見せる妻、そのうちの一つの世界で生まれた娘、それとは違う世界で誕生した息子……。テロや性犯罪などのおどろおどろしさをはらみながら、家族とその周辺の人々が、複雑で入り組んだ物語を織りなしてゆく。
 移った先の世界では、つじつま合わせが欠かせない。「もうひとりのぼくを敷き写すためには、メーラやスケジューラのログ、どこかに投げ込まれているはずの私的な写真や動画、ネットにばら撒(ま)かれた無数の噂(うわさ)話といった無数の個人情報が必要だった」。こうやってIT社会が、自分の再構築に一役買うのである。
 妻が発症する「検索性同一性障害」という病気も、いかにもありそうだ。脳が一つの言葉や記憶から「導出可能なすべての命題空間」を探索するため、現実世界と可能世界が区別できなくなるのだという。電脳時代の私たちは、すでにこれに似た病に脅かされてはいまいか。
 心に残るのは、その妻の胸に去来する「わたしたちはひとを愛するとき、その世界のそのひとだけを愛するのだろうか」という言葉だ。
 可能世界の影が呼び起こすそんな問いにこそ、芽吹きはじめた量子文学の核心があるように思う。
 〈評〉尾関章(本社編集委員)
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 新潮社・2100円/あずま・ひろき 71年生まれ。批評家。『存在論的、郵便的』(98年)でサントリー学芸賞。08年、編集委員として雑誌「思想地図」を創刊。著書に『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』など。

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