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斎藤隆夫日記(上・下) [編]伊藤隆

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2010年02月21日

[ジャンル]歴史 政治 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■反軍政治家の苦悩と喜びの記録

 昭和十年代に軍事主導体制が進むとき、それに抗した反軍政治家として斎藤隆夫の名が語り継がれる。
 ところがこの日記を読んでいくと、彼は日本的共同体に谺(こだま)する国民の声を議会に反映させるのが立憲政治の基だと考えていたことがわかる。代議士を目ざしたころ(明治三十九年)に欧米の国会を研究して『比較国会論』を自費出版している。そこで「国民の意識を以(もっ)て政治の原動力と為(な)すに在り」と書き、立憲政治家たろうと志したとある。この原点に立っての三十数年の政治家生活、その日々の記録がこの日記といえようか。
 この上下巻には、大正五年から昭和二十四年(二十二年は欠)までが収められている。はからずも反骨の議会史たりえるのだが、一政治家の苦悩や喜びもわかってくる。宴会の品のない話に辟易(へきえき)する描写や政治家たちの嫉妬(しっと)、支援者の励まし、家族との団欒(だんらん)、「来訪者なし」と記すときの孤独感、だがなによりも興味がもたれるのは、重要な史実に出会ったときの本質を突く短い表現だ。二・二六事件時の「軍規薄弱、憤慨に堪(た)へたり」「戦時気分現はる」とかドイツがポーランドに入って始まる第2次世界大戦時には「之(こ)れより世界は沸騰すべし」、そして太平洋戦争の始まった日には「是より国家益々(ますます)多難なるべし」など、冷静に言い表している。敗戦時には、「予の予想全く適中す」とある。
 昭和十五年二月二日の反軍演説では除名処分になるが、そのときの反対者六人の名を書く。しかし一人の名が空白なのは何を意味しているのか。除名されても「来年の選挙に捲土(けんど)重来せん」と楽観的なゆえに斎藤は独自の道を歩めたのであろう。
 昭和二十一年五月の第一次吉田内閣で初の入閣を果たすが、認証式ではGHQから斎藤のみが認められないとの連絡が入る。やがて誤解が解け一人だけの認証式が行われる。「やつと安心す」の表現にこの政治家の怒りがある。誰かがGHQに中傷したのだろうが、この日記は陰湿な日本的共同体のからくりも浮かびあがらせている。
 評・保阪正康(ノンフィクション作家)
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 中央公論新社・各1万500円/さいとう・たかお 1870〜1949。編者は東大名誉教授(日本近現代史)。

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