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宋学の西遷―近代啓蒙への道 [著]井川義次 

[評者]苅部直(東京大学教授)

[掲載]2010年02月21日

[ジャンル]歴史 人文

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■思想の東西交渉史、理論細部まで

 十七世紀後半の中国に滞在したイエズス会の宣教師、フィリップ・クプレは、儒学の思想を解説し、経典の翻訳を載せたラテン語の著書を刊行している。この新著で井川義次が扱う書物の一つであるが、そこで『論語』の表題は「理性的に論ずる人々の言葉」と訳されているという。
 これは決して誤訳でも、西欧の哲学用語に無理やりひきつけた曲解でもない。そのことを、この本は古典中国語(漢文)で書かれた原典と、ラテン語訳とを照らしあわせる作業によって、丹念に明らかにしている。
 そのころ中国の儒学思想は、全宇宙の運行と生命の営みを支える「理」を中心とした、朱子学(宋学)の壮大な哲学体系に、変貌(へんぼう)をとげている。しかも明朝末期には、その「理」をみずからの内に備え、外界の事物に関する「理」を把握できる、人間の「心」の主体性へと、朱子学者たちの関心が向かっていた。これを反映した経書解釈が、人間の理性の力を重視しようとする、同時代の西欧の知識人を惹(ひ)きつけたのである。
 ドイツで活躍した哲学者、クリスチャン・ヴォルフは、こうした宣教師たちによる儒学経典の翻訳に基づいて、神の存在を前提とせずに、人間の理性が世界の法則をよみとり、秩序を支えてゆくことを、高らかに説いた。その発想が、フランスの『百科全書』やカントの哲学に代表される、十八世紀の啓蒙(けいもう)思想に大きな影響を与えてゆく。
 たとえば、明治日本の知識人が西欧の近代思想に魅せられたのも、一面では、それがすでに儒学と似ていたからでもあった。「和魂洋才」とか「脱亜入欧」とかいった文句でわりきれる営みではなかったのである。
 こうした思想の東西交渉史については、すでに戦前から研究の蓄積があるが、ラテン語と古典中国語の双方をここまで駆使し、哲学理論の細部にふみこんだ仕事は珍しい。引用史料にはていねいな翻訳と解説が施されているので、一般の読者にも近づきやすいだろう。そして、東西の思想の交錯にみずから立ちあうような気分を、じっくりと味わえるはずである。
 評・苅部直(東京大学教授・日本政治思想史)
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 人文書院・8190円/いがわ・よしつぐ 61年生まれ。筑波大学准教授(中国哲学)。

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