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「かなしみ」の哲学―日本精神史の源をさぐる [著]竹内整一

[評者]酒井順子(エッセイスト)

[掲載]2010年02月07日

[ジャンル]人文

表紙画像


■万葉集から演歌まで響き合うもの

 「かなしみ」という文字を見ると、つい反応してしまう私。その反応には、どこかうっとりとした陶酔感が伴うのであり、かなしみの塩分によって強められる甘味が、確かにあるのです。
 本書を読むと、そういった反応を示すのは、どうやら私だけではないようなのでした。かなしみという感情が、詩や文学の主題となりやすいのは万国共通ですが、日本において特徴的なのは、かなしみと無常とが、強いかかわりを持つこと。死や別れのみならず、花が咲いたり月が欠けたりするにつけ、我々の先祖は“常など無いのだ”と、ほろりとしていたのです。
 唐木順三は『無常』の中で、日本人が無常を語る時は、「きわだって雄弁」になったり「特に美文調」になる傾向が強いと記しています。してみると私が「かなしみ」という文字を見る時に感じるうっとり感は、古来日本人が無常を語る時に気持ちを高ぶらせてきた、その意識と通じるのかもしれません。
 「かなしみ」とはそもそも、「『……しかねる』の『カネ』と同じところから出た」ものであり、「何ごとかをなそうとしてなしえない」切なさや無力性を感じつつ、何もできない状態を示す言葉なのだそう。すなわち自己の有限性を見た時に、人はかなしみを感じるのです。
 日本人は、その有限性を自覚し、運命、諦(あきら)め、己の無力に接することによって、無限のもの、常なるものを理解しようとしてきたと著者は説きます。本書を読むことによって、自分のうっとり感が、果たして超越的な存在に対する憧憬(しょうけい)によるものなのか、それとも単なる「自己哀惜のナルシシズム」なのか、私は考えることになったのでした。
 著者は、万葉集から演歌まで、日本人が愛した様々なかなしみの表現をひもといていきます。時代によってかなしみの表層は異なれど、そこには共通した芯がある。万葉の人ともかなしみの心が響き合うかと思うと、またもや私の中には甘美な陶酔感が湧(わ)いてきてしまったのでした。
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 NHKブックス・1019円/たけうち・せいいち 46年生まれ。東京大学教授(倫理学・日本思想史)。

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