書評・最新書評

若者と社会変容―リスク社会を生きる [著]アンディ・ファーロング、フレッド・カートメル

[評者]耳塚寛明(お茶の水女子大副学長・教育社会学)

[掲載]2010年02月07日

[ジャンル]社会

表紙画像


■個人化した危機が不平等を隠す

 日本では1990年代以降、子どもから大人への、そして学校から職業世界への移行のあり方が激しく変化した。ニートやフリーターが生まれた。移行の長期化は親への依存をも長期化し、家族形成や大人としてのアイデンティティー確立がいっそう困難になった。こうした若者たちの移行様式の変容は日本に固有のものではなく、時期の違いこそあれ先進諸国に共通の現象だった。本書は80年代以降の先進国における若者たちの変化を、教育、労働市場、家族形成、余暇、健康、犯罪等の諸側面にわたって実証した好著である。
 80年代以前の〈近代〉にあっては、若者の多くは大規模な生産現場へと集団的に吸収されていった。ところが製造業からサービス産業へのシフトをともなう〈後期近代〉に至り、若年雇用機会は、小規模事業所や非正規雇用へと変わった。職業への移行ルートは個々の若者によって多様になり、彼らが直面する危機も多様に現れるようになった。「個人化したリスク」の出現である。リスクは個人的な行動によってのみ解決しうる事柄と解釈されるようになった。
 大人への移行様式の多様化は、若者たちが古い秩序の縛りから自由になり、主体的にリスクを乗り越えていける時代の到来とも考えられる。だがそうではない。著者らの検討は、リスクが階級やジェンダーによって不平等に配分されている事実を明らかにしているからである。社会構造は人々の人生経験や機会をなお縛り続けている。客観的な社会構造がなくなったのではない。集団主義的伝統が弱まり個人主義的な価値が浮上する中で、社会構造が主観的には見えづらくなっただけなのだ。この客観性と主観性との分裂の拡大を著者らは「認識論的誤謬(ごびゅう)」と呼び、そこに後期近代の最大の特徴を見る。私たちは若者に、個人にはコントロールできない社会構造に由来するリスクを、個人の努力によって解決するよう強いていることになる。
 読後に見えてくるのは、若者たちがもがき生きる後期近代に備わった、不平等を覆い隠すメカニズムにほかならない。
   *
 乾彰夫ほか訳、大月書店・2940円/Andy Furlong, Fred Cartmel ともにグラスゴー大学の教員。

関連記事

ページトップへ戻る