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初夜 [著]イアン・マキューアン

[評者]尾関章(本社論説副主幹)

[掲載]2010年02月07日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■性の重みを知る世代の物語
 初夜という言葉に、まだ重みがあった時代の話である。
 英国南部の海辺のホテル。新婚の二人は粛々と晩餐(ばんさん)をとりながら、寝室でまもなく始まるそのことに心を奪われていた。彼の緊張と彼女の恐怖。階下のラジオから流れるマクミラン首相の演説。性解放が進む1960年代後半は数年先のことだ。
 寝室では、彼は彼女のファスナーを詰まらせて慌て、彼女は彼に触れられて「手がそこにあるのは、彼が夫だから」と理屈で考える。ほほ笑ましさはやがて深刻さに変わってゆき……。
 ぎこちない進行に重ねて二人の軌跡が描かれる。モーツァルト派の彼女とチャック・ベリー好きの彼。異なる感性の出会いも時代の様相を映し出す。
 印象深いのは、二人が恋を育んでいたころ、ブナの森を抜けて彼を訪ねてきた彼女の姿だ。「ビロードの布きれで髪を頭の後ろにまとめ(中略)シャツのボタンホールにはタンポポを挿していた」。それは40年を経てもなお彼の脳裏によみがえり、歩んだかもしれないもう一つの半生への思いを呼び起こす。
 性の重みを知る世代が到達した静かな境地といえようか。
   *
 村松潔訳、新潮社・1785円

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