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エクスタシーの湖 [著]スティーヴ・エリクソン

[評者]奥泉光(作家)

[掲載]2010年01月17日

[ジャンル]文芸

表紙画像


■めまぐるしく語られる無数の断片

 小説を読むという行為を、作家が作った虚構の家にしばし住んでみることだと、比喩(ひゆ)的に語ってみよう。その場合、虚構の家はどこにあるのかといえば、本のなかに最初からあるのではなく、活字を読み、想像力を働かせた読者によって建てられるものだというべきだろう。つまり読者は、自分が建てた家に住むのである。
 家の居心地のよさだけをひたすら求め、「文学」からただ癒やされたいと願う元気のない読者は、エリクソンの小説は読まない方がいいだろう。この「エクスタシーの湖」と題された活字の列を材料にして、どんな家を建てたらいいか、途方に暮れるのがおちだからである。
 実際、二〇〇五年に発表された本書は、ロサンジェルスの街の中心部に巨大な湖が出現するという、SF的な出来事を中核に据えたうえで、一人称と、複数の視点人物による三人称の語りの交錯のなかで話を進めていくのであるが、さまざまなスタイルの語りに彩られた、さまざまなイメージや思弁や物語の断片が、独特のスピード感と、奇を衒(てら)ったといえなくもない、凝った構成のなかで次々と繰り出されていく一編は、読者に容易に家を建てさせない。
 たとえば、巨大湖の中心は「レイク・ゼロ」と呼ばれる。これはいうまでもなく、「9・11テロ」の爆心地「グランド・ゼロ」からきたわけで、また小説中に描かれる近未来のアメリカは内戦のさなかにある。しかし、では、そうしたテロリズムの普遍化した世界を描くことが、この小説の中心テーマかといえば、そうではない。
 親と子、神と人、歴史と神話、政治と暴力、性愛と支配……無数の主題が、明確な中心を欠いたまま、無数のノイズをともなって、きれぎれの断片となって目まぐるしく語られていくのであり、読者は家を建てては壊し、また建て直していくことを強いられるだろう。そのなかで、言葉が、いままで知られなかった色彩と手触りをもって迫ってくるはずだ。そうしたスリルと快楽を「文学」に求める人こそが本書の読者たりうる。
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 越川芳明訳、筑摩書房・2940円/Steve Erickson 50年生まれ。小説家。『真夜中に海がやってきた』など。

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