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「リンカン」書評 巨大な国家的危機、政敵を使いこなす

評者: 久保文明 / 朝⽇新聞掲載:2011年03月27日
リンカン 上 南北戦争勃発 著者:ドリス・カーンズ・グッドウィン 出版社:中央公論新社 ジャンル:エッセイ・自伝・ノンフィクション

ISBN: 9784120041938
発売⽇:
サイズ: 20cm/641p

リンカン 上・下  [著]ドリス・カーンズ・グッドウィン 

 原題は「ライバルからなるチーム リンカンの政治的天才」。アメリカで本書に注目が集まったのは、オバマが民主党の指名争いにおいてヒラリー・クリントンに対する勝利をほぼ確実にした段階から本書に触れ、「個人的な感情が問題ではありません。危機の中にある国をいかに動かすかが問題なのです」と語っていたからである。実際、オバマ大統領は党内のライバル、クリントンとバイデンをそれぞれ国務長官および副大統領に迎え入れた。
 リンカンについては、すでに語り尽くされている感があり、新しい視点を提供することは容易でない。本書は、政敵を取り込み、国家的目的のために使いこなすリンカンの政治的能力に注目することで、既存の研究に挑戦している。主な登場人物は、リンカンのほか、ウィリアム・シワード、サーモン・チェース、そしてエドワード・ベーツらである。彼らは皆、1860年に共和党大統領候補の指名を獲得しようとしていた。本命はシワードであったが、勝利したのはリンカンであった。
 第16代大統領に当選後、リンカンは彼らをそれぞれ国務、財務、そして司法長官に抜擢(ばってき)した。政治的ライバルといっても、主義主張をまったく異にするわけではない。基本的には同じ政党に所属していた。にもかかわらず、奴隷制についての見方など、時代の重要問題について、彼らは大きく異なる考えをもっていた。
 このようなスタイルの伝記を選択する場合、いわば4人の短い伝記の寄せ集めになってしまう危険がある。その点、本書はあくまでリンカンに焦点をあてつつ、公私両面における彼らとの関係に有機的に話を広げており、巧みに構成されている。
 本書で注目に値するのは、とくにリンカンとシワードが相互に強い信頼関係を築き、敬愛の情を抱くにいたることであろう。それに対して、大統領になる野心を捨て切れなかったチェースはリンカンを引きずり降ろす活動を継続し、ついに辞任を余儀なくされる。しかしリンカンは、「あれほど根深く不当に謀略を仕掛けてきた」彼を、最後は最高裁判所長官に任命する。「国のことを考え」ての決断であった。リンカンの「政治的天性は、国内で最高の逸材を彼のまわりに連れて来る能力だけでなく、彼らに、自らの目標、認識の対象、そして決意のほどを、それぞれ重大な分岐点において強く印象づけることを可能にした」。
 全体として好意的にリンカンを描写しているが、彼を神格化することは本書の意図でない。政治家として強烈な野心をもち、政治工作を行い、妥協もする。ただし、当初は南部での奴隷制を許容していたが、奴隷制と連邦の維持、そして戦争指導との関係について理解を深めていき、奴隷解放を決断する経緯からは、政治家として学習し、育っていく能力を読みとることができる。
 巨大な国家的危機に立ち向かう政治家のあり方について、思いをめぐらすことができる書でもある。
 〈評〉久保文明(東京大学教授・アメリカ政治)
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 平岡緑訳、中央公論新社・上下巻とも3990円/Doris Kearns Goodwin 米国生まれ。ハーバード大学で行政学を学び、博士号を取得。リンドン・ジョンソン大統領時代は補佐官をつとめた。