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田辺聖子の古典まんだら 上・下 [著]田辺聖子 

[評者]酒井順子(エッセイスト)

[掲載]2011年03月27日

[ジャンル]文芸

表紙画像


■過去という味方がいる豊かさ

 苦難に出会った時、私たちは先輩の声を欲します。かつて同じことを経験したことがある人の意見を聞けば、安心すると同時に道が開けるのではないかと思うから。
 「勉強しなくてはならないもの」だった学生時代は古典に食指が動かなくても、大人になると興味が出てくるのは、そのせいかもしれません。生きていると増えていくのは後輩ばかりだけれど、書物の中には先輩がいる、と。
 日本には多くの古典作品が残っています。男も書けば、女も書く。歌、物語、随筆、戯曲と内容は様々。雅(みやび)な王朝文化、荒々しい武士の世、そして平和な町民の世界と、背景も様々。私たちのうしろには、かくもバラエティー豊かな先輩たちが控えているのだ、ということを私たちに教えてくれるのは、田辺聖子さんです。本書においては、古事記・万葉集から西鶴・芭蕉まで、日本の古典の粋とでも言うべき作品の数々が、古い作品から順に、わかりやすく解説されているのです。
 時代ごとにどのような作品が書かれたかを知ることによって、日本という国が歩んできた道と、日本人が抱いた苦難の質の変化とが、自然と浮き上がってきます。恋の悩み、戦争、天変地異。それぞれの時代に、それぞれのつらさに人々は突き当たり、一方では書くことと読むことによって、つらさに耐えようとしてきたのでしょう。
 人生の先輩である田辺さんは、恋の悩みも、戦争も地震も、実際にご存じです。そんな先達が案内して下さるからこそ、古典という森は、この本の中で豊かな実りを私たちに提示するのでした。そして、その実りを実際に手にするのは、決して難しくはないことも。
 過去を振り返ることは、決して後ろ向きな姿勢ではないということ。そして、昔の人々も我々と同じ人間であり、古典の中には豊かな経験と情緒の蓄積があることを気づかせてくれるこの本。大変な現実がある時こそ、我々には過去という味方がいることを、忘れてはならないのだと思います。
 評・酒井順子(エッセイスト)
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 新潮社・各1470円/たなべ・せいこ 28年生まれ。作家。『苺をつぶしながら』など。

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