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ジョゼフ・コーネル―箱の中のユートピア [著]デボラ・ソロモン

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年03月20日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝

表紙画像


■成功が苦悩だった禁欲の人生

 日頃から伝記を愛読する僕が伝記を読み耽(ふけ)るジョゼフ・コーネルの伝記を読んだ。芸術家の伝記が面白いのは、周囲の人間たちが魅了されるあまり人生が壊されていくからだと著者は嘯(うそぶ)くが、この伝記の主人公コーネルは皮肉にも周囲の人間によってどんどん壊されていく。
 生涯を通してソリの合わない母親と諍(いさか)い続け、障碍(しょうがい)を抱えた弟と一心同体の苦痛を味わいながらも、無垢(むく)の魂から生まれる謎めいた箱の作品やコラージュの膨大な資料の山に埋もれた地下の一室で、痩せた亡霊のような男は憧れのバレリーナ、映画女優、十代の少女を女神のように崇(あが)め、彼女たちへのオマージュを量産していくが、その評価が定まるのはずっと後である。
 コーネルといえばモダニズムと無縁の象徴主義的な秘境の隠者のイメージが濃く「大人の玩具」作家ぐらいにしか思われていなかったが、とんでもない。シュルレアリスム、表現主義、ミニマリスム、ポップアートと20世紀が駆け抜けた現代美術の足跡を辿(たど)る時、そのコアにご神体のように鎮座していたのが実はジョゼフ・コーネルだったことを今や誰も否定しない。
 にもかかわらず彼は時代の評価には無頓着。我関せずの孤高の市井の人間は資料あさりにマンハッタンの古書店を彷徨(ほうこう)する夢想の毎日を日記に綴(つづ)るだけで、自分の業績や作品が理解されることさえ恐れる。
 そんな彼の思惑に反して、彼の神秘的な箱の作品を求めて美術館やコレクターや有名人がクイーンズのユートピア・パークウェイの小さな木造家屋に日参するが、作品は売りたがらない。彼の成功は彼を幸福にするどころか、彼にとっては現実的な苦悩でしかなかった。それも憧れの女性たちには指一本触れることもせず童貞のまま、失意のどん底で悪夢の芸術家コーネルを慰めるのは、「天文台」と呼ぶ彼の家の台所から夜空の星を数える時間だ。自らの存在をあたかも天に属する者と定め、あの世での不死を信じ、自分がこの世から失(な)くなるのをただ待つだけの禁欲の男が僕の脳裏に浮かび上がってくる。
 評・横尾忠則(美術家)
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 林寿美ほか訳、白水社・3990円/Deborah Solomon 57年生まれ。米国のジャーナリスト、美術評論家。

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