書評・最新書評

不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力 [著]ジェイムズ・D・スタイン

[評者]高村薫(作家)

[掲載]2011年03月20日

[ジャンル]科学・生物

表紙画像


■数学の枠広げる、難問にかける夢

 「偉大な問題はえてして説明するのがわりと簡単で、解くのが難しい」と本書にあるが、実にそれゆえに、人は数学にドキドキする。たとえば、4以上の偶数は二個の素数の和である、という予想は子どもでも立てられるが、二五〇年以上経てもなお証明に成功した者はいない。
 けれども、難しい問題の解を求める数学の営みは、問題そのものを超えて既知の数学の枠組みを拡張してゆくのであり、そこに醍醐味(だいごみ)を見いだすのは本書も例外ではない。たとえばガウスは、作図可能な正多角形にある種の素数が絡んでいることを示していたし、ベキ乗や累乗根などの関数の語彙(ごい)だけでは記述できない五次方程式の解法に、対称性を記述する群論の発想がもち込まれたとき、多項式の根の探求は幾何学への眼差(まなざ)しを獲得してゆくのである。
 また二〇世紀の数学の風景を大きく変えた集合論の公理系についても、カントールが0と1の間にある実数の集合を考えるに当たって導入した選択公理と実数連続体仮説が、既存の公理系とは独立のものであることが後に証明されたのだが、連続体という数学上の概念は、今度は物理学の分野で、量子力学から見た世界の離散的構造との相剋(そうこく)を生んでゆくことになった。
 さて、その量子力学の世界観を支えるハイゼンベルクの不確定性原理が、本書の三大「できない」の第一である。第二はゲーデルの不完全性定理。第三はアローの不可能性定理。詳細は本書に譲るが、著者が「できない」にこだわるのは、それが数学的にスリリングな事実だからではないようだ。たとえば、ある命題の真偽を判断できる証明が存在しないという意味での決定不可能性には、宇宙物理で使われるプランク時間のように人間の測定の限界を超えているゆえの不可能や、公理構造が複雑すぎて手に負えないゆえの不可能などがあるが、数学者にとってはそこが幕切れではない。今度はそこから、決定不能命題を許容できるほど十分に複雑な公理系を記述するか、それを記述するのは不可能だということを証明する夢を見るらしいのだ。
 評・高村薫(作家)
    *
 熊谷玲美・田沢恭子・松井信彦訳、早川書房・2730円/James D. Stein カリフォルニア州立大教授。

関連記事

ページトップへ戻る