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アーカイヴの病―フロイトの印象 [著]ジャック・デリダ

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2011年02月27日

[ジャンル]人文

表紙画像

■破壊と再生もたらした両義性

 フロイトについて語るデリダ。おなじみの精神分析批判かと思いきや、なにやら様子が違う。語られているのは、(直接には)フロイトについてでも精神分析についてでもない。テーマは「アーカイヴ」だ。
 いまだすべての文書が公開されてはいないフロイトのアーカイヴ。それを管理するのはロンドンのフロイト博物館である。本書は1994年にこの博物館が主宰した国際会議で行われたデリダの講演記録だ。講演とはいえ晦渋(かいじゅう)極まりないその語り口は、周到かつ挑発的な形式も秘めている。何しろ「序言」と「前書き」だけで本書の半分以上が占められているのだから。
 それにしても、なぜ「フロイトのアーカイヴ」なのか。一言で言えば、アーカイヴそれ自体が精神分析的な構造を持つためだ。その構造は無意識に似ている。その記録方式は記憶に、その分析は精神分析に極めて近い。
 そう、アーカイヴは、単なるデータの集積ではない。それは起源において矛盾を、「病」をはらむ。ならば「アーカイヴの病」とは何か。それはアーカイヴを成立させると同時に、それ自体を内側から食い破ってしまうような自律性を指している。
 病とは例えば「アーカイヴに対する強迫的で反復的、郷愁的(ノスタルジック)な欲望を、起源への回帰の抑え難い欲望、望郷の念、絶対の始まりの最も古代的な場所に回帰する郷愁」を抱え込むことだ。
 アーカイヴは亡霊的でもある。「『生身』の現前でも不在でもなく、見えるものでも見えないものでも」ない痕跡として。この視点のもとで精神分析は「ユダヤ性」の隠喩そのものとなる。
 さらにデリダは未来を語る。たとえば電子メール。「ほぼ瞬間的な仕方で、アーカイヴの生成、印刷、保管、破壊に役立つ」この道具は、アーカイヴ(=精神分析)にいかなる未来をもたらすだろうか。
 その答えは両義的だ。それは破壊と同時に再生をもたらした。おそらくこの両義性こそが、われわれがいまだ「アーカイヴの病」の中にあることの一つの証しなのである。
 評・斎藤環(精神科医)
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 福本修訳、法政大学出版局・2415円/Jacques Derrida 1930〜2004年。ユダヤ系哲学者。

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