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迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 [著]ネルケ無方

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年02月27日

[ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■試練また試練、運命の先には

 世の中には物好きというか命知らずの運命に挑戦する勇気ある人間がいるものだ。16歳で仏縁に出会い発心したドイツ人の若者が西洋の価値観と真反対の日本の禅寺に、道元禅師よろしく海を越え正法を求めて飛び込んできた。葬儀産業と化した日本仏教の実態を目にし、なお道を深く分け入る彼を待っていたのは軍隊より厳しい地獄の禅修行(私の体験から)だった。
 まず著者を受け入れた禅寺は兵庫県の山奥の安泰寺である。ワクワク気分の著者に堂頭(どうちょう)(住職)は訊(き)いた。
 「何をしに安泰寺に来たの」
 禅を学び修行のためと答えた著者に堂頭は目を光らせた。
 「安泰寺はお前が創るんだ」
 「私とは何か、何のために生きるのか」の問いへの、彼の観念による解決は間もなく「身体がそのまま私だ」という実感によって崩れると同時に、そこに創造があることを知る。そしてその創造は自己を放下し、西洋と日本の衝突の中で彼のエゴは苦しみながらも「自己を忘れる」ことこそが仏となる道と本懐を遂げるが、理屈っぽい人間と見抜かれた著者は安泰寺を下山せざるを得なくなり、京都の臨済宗本山僧堂に身を寄せる。が、彼の前途には新たな運命の試練が手ぐすね引いて待っていた。
 「座禅はただ座るんじゃない、死ぬこっちゃ」——早うドイツに帰りなはれ、でないとほんまに死にまっせ、と声を掛けたくなるこの私。決意と決断の彼はほんまに死ぬ気か。——かと思うと突然心身脱落したかのようにコロッと心が楽になり、怖いものもなくなる。
 次なる運命はホームレスになって大阪城の公園での伝道だ。そしてそこに駆け込んできた女性と結ばれる。そんな時も時、不退を誓って下山した安泰寺の堂頭の事故死。急いで彼女にプロポーズする著者。読んでいて先々が見えないこの運命の戯れの源泉は一体、何?
 「安泰寺はお前が創る」と言った堂頭の言葉が現実に。現在、二人の子宝に恵まれた住職のネルケ無方師は座禅が「未(いま)だに分かりません」「迷える者であり続けたい」と述懐する。
 評・横尾忠則(美術家)
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 新潮新書・777円/ねるけ・むほう 68年ドイツ生まれ。93年、出家得度。2002年から安泰寺住職。

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