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銅像受難の近代 [著]平瀬礼太 

[評者]酒井順子(エッセイスト)

[掲載]2011年02月27日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■時代に揺れ動いた偉人像たちの運命

 食べ物であれ建物であれ、何か一つの物だけを訪ねる旅をすると、その土地のことが思いのほか深く見えてくることがあります。同じように、一つの事物について徹底して探ることによってもっと大きなものが見えることがあるのであり、著者がその対象として選んだのが、「銅像」でした。
 銅像と言われて私が思いつくものは上野の西郷さんくらいですが、しかし日本にはかつて、銅像ブームとでも言うべきものがあったのだそうです。銅像は、西洋の文化の一つとして、明治の日本に登場。それまでの日本には、大仏を除いては、偉人の像を屋外にさらしておくという発想はなかったようです。
 靖国神社の大村益次郎像、上野の西郷さん像といった初期銅像が建てられると、銅像はどんどん増えていき、結果、銅像の設置には許可が必要となるほどに。交通の邪魔になる銅像(広瀬中佐像)、市民から倒されて引き回される銅像(伊藤博文像。ちなみに本人は当時まだ存命中)、稚拙な銅像(多数)……と、この頃の銅像は、質も扱いかたも、様々であったようです。
 しかし銅像林立の時代は、長く続きませんでした。時代は戦争へと進み、銅像はその素材が金属であるが故に、お国のために回収されるという「銅像受難の時代」がやってくるのです。どの銅像を「出征」させ、どの銅像は生き延びるか。そこには時代の思想が表れます。そんな時代だというのに、占領地には二宮金次郎像を建てたりもしている。
 戦争が終わっても、銅像受難の時代は終わりません。今度は連合国軍総司令部(GHQ)が、封建的であったり軍事色の濃い銅像は撤去する方針を打ち出すのです。寺内正毅元帥の銅像が撤去された後、新しく台座に乗ったのは、「平和の群像」と題された3人の裸婦の像。高度経済成長時代になれば、和気清麻呂像は地下鉄工事のために移転させられる……。現在も見ることのできる銅像は、そんな受難の時代をくぐり抜けてきた、生き残りたちなのでした。
 銅像とは、人間が「永遠」に憧れて創るものなのでしょう。人間という存在を、そして人間が作った歴史を、永遠に形に留(とど)めておきたいという野望のもと、人は金属で像を造る。だからこそ銅像という存在は、時にやっかいで、時に滑稽なのでした。過去の偉人が忘れられるスピードは、意外と速いもの。また時代状況が変われば、偉人はすぐに悪人となる。そうなった時に銅像が、人間の形をしているが故に格好の攻撃と揶揄(やゆ)の対象になるのは、イラクにおけるフセイン像引き倒しを見てもわかる通り。
 著者が詳(つまび)らかにした日本銅像史と言うべきものと、現存・非現存を問わぬ数々の銅像の写真からは、そこはかとないユーモアがにじみ出ます。そのおかしみとは、どれほど無常の歴史を繰り返そうと、それでも永遠を求めてやまない人間が持つおかしみが、もたらすものなのでしょう。
 〈評〉酒井順子(エッセイスト)
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 吉川弘文館・4410円/ひらせ・れいた 66年生まれ。姫路市立美術館学芸員。共著に『戦争と美術1937—1945』『戦争のある暮らし』など。

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