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オリクスとクレイク [著]マーガレット・アトウッド

[評者]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

[掲載]2011年02月20日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■終末世界が問う生命の倫理

 生命に関わるパンドラの函(はこ)はすでに開けられたか? 遺伝子操作などは「神の領域」への侵犯か? アトウッドは前者の質問には「イエス」、後者の質問には「オープン・クエスチョン」と答えた。ただ、一旦(いったん)開いたパンドラの函は元に戻せない。
 ヴェルヌがディストピア(反ユートピア)文学の萌芽(ほうが)となる『二十世紀のパリ』を書いてから約150年、昨今は日本でも伊藤計劃の『ハーモニー』が大きな支持を得ているが、ディストピア小説の潮流の高まりは世界的なものと言える。
 そうした波の中心にいる作家の一人がアトウッドだ。『侍女の物語』などで未来の管理社会を鋭く描いた作家だが、本作は終末世界のモチーフを組み合わせてSFの色合いを強めた野心作であり、〈マッドアダム〉3部作の第1作である。
 人類消滅後の世界で海辺に住む「スノーマン」。ここには「クレイカーズ」という人工生物が棲息(せいそく)する。彼らは疑いや不安を知らず、決まった時期に生殖を行い、プログラム通りに生きる。なぜ世界は滅亡したのか?
 かつての世界では、選ばれた者と「ヘーミン」が隔離されて暮らし、私生活まで監視されながら健康な生活を送り、やがて不老が実現する。ジミーの親は大企業で、遺伝子組み換え生物「ピグーン」の体内に、ヒトに移植する臓器や脳組織まで培養することに成功するが、家庭は崩壊。ジミーは「クレイク」と出会い、危険な双方向ゲームに熱中し、ポルノサイトで美少女「オリクス」を見つける……。
 未来で失われた文化や動植物(つまりそれは現在失われつつあるもの)への格別な眼差(まなざ)しがここにはある。そして重い生命倫理の問題。信心と狂気の境はどこにある? 幸福や安寧は人を閉じこめる箱庭ではないか?
 プログラムされたクレイカーズが、それでもなおスノーマンに創造主の物語をせがみ、絵画や音楽を有することに、私はある希望と胸騒ぎを覚える。ディストピア文学に普遍の問いを孕(はら)み物語が今後どう発展するか。ノーベル賞候補アトウッドの有力な代表作群になるだろう。
 評・鴻巣友季子(翻訳家)
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 畔柳和代訳、早川書房・3150円/Margaret Atwood 39年生まれ。カナダの作家。

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