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漂流―本から本へ [著]筒井康隆

[評者]逢坂剛(作家)

[掲載]2011年02月20日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■膨大な読書量が広げた精神世界

 まれに例外もあるが、作家のほとんどは子供のころから、膨大な量の本を読んで育つのが普通、と理解していた。
 それでもなお、本書の著者の読書歴に接すると、その幅の広さと奥行きの深さに、圧倒されてしまう。著者も、幼年期には『少年探偵團(たんていだん)』や『鐡假面(てっかめん)』など、年相応のものを読んでいるが、やがて乱歩の『孤島の鬼』や、デュマの『巌窟王』の原典『モンテ・クリスト伯』といった、大衆小説に手を出す。中学にはいると、マンの『ブッデンブロオク一家』や、シンクレアの『人われを大工と呼ぶ』などの、普通小説に取り組む。著者は早熟というより、あくなき知識欲の持ち主だったのだ。
 十代後半からは、ショーペンハウエル『随想録』、ズウデルマン『猫橋・憂愁夫人』、さらにはフロイド、メニンジャー、カフカ、カントと、ときに晦渋(かいじゅう)とされる本を手当たり次第に、読破していく。著者は、難解な本の内容を簡潔に、分かりやすく説き明かす、希有(けう)の才能を備えている。極端な話、ここに紹介された本のさわりを読むだけで、原典に接したような気にさせられるから、恐ろしい。簡単なことを、小むずかしくこね回す論客は多いが、その逆ができる人は、きわめて少ないのだ。
 評者は、朝日新聞に連載中から、この読書年代記を毎週読むのを、楽しみにしていた。かつて自分も読み、感銘を受けた本がいくつかあって、なつかしさを覚えた。読書録を読む醍醐味(だいごみ)の一つは、そういうところにもあるだろう。
 ちなみに18年ほど前、著者は問答無用の言葉狩りと、マスコミの無批判な自主規制に抗議して、断筆宣言を行ったことがある。その断固たる姿勢が、世論に強い衝撃を与えると同時に、無意味な言葉狩りを駆逐したことを、いやしくも文筆業に携わる者なら、だれでも承知していよう。
 その決意の裏には、膨大な読書量によって広がった精神世界と、深い洞察から生まれたゆるぎない信念が、存在していた。 本書を読むと、それが納得できるのである。
 評・逢坂剛(作家)
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 朝日新聞出版・1365円/つつい・やすたか 34年生まれ。『文学部唯野教授』『わたしのグランパ』など。

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