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空白の五マイル―チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む [著]角幡唯介

[評者]石川直樹(写真家・作家)

[掲載]2011年02月20日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝 国際

表紙画像

■命すり減らしつかむ、一瞬の生

 角幡さんと出会ったのは15年前、大学の探検部の部室だったと記憶している。ぼくは10代の新入生で、角幡さんも20歳になったばかりの頃だった。「四階までしかないはずの古い校舎の、なぜか五階に」部室があって、そのカビ臭くて薄暗い室内に彼はいた。
 角幡さんは、野人のような顔をしていたが物腰は柔らかく、ぼそぼそとした物言いで口数は多くなかった。探検を志す若い彼らとぼく自身の頭の中にあったのは「どこを探検すべきか」という、単純かつ根本的な問いだった。「二一世紀を目前にひかえ、人跡未踏の面白そうな秘境などそう簡単に見つかるものではなかったし、仮にあったとしても、それは誰にも見向きもされない、重箱の隅を楊枝(ようじ)でほじくるような、要するに行ってもあまり意味のなさそうな場所ばかりだった」のだから。
 多くの探検部員にとって、探検は学生時代に思い描いた見果てぬ夢として消えていく。しかし幸か不幸か、彼はチベットのツアンポー峡谷と出会ってしまった。過去の名だたる探検家が挑み、到達できなかった「空白の五マイル」と呼ばれる地帯の存在を知ってしまったのだ。
 人は誰しも自制心というものがあるが、彼はそのたがが外れている。大学を卒業し、大手新聞社の記者という安定した地位を手に入れたにも関わらず、すっぱりと職を辞し、未知の空白を踏査するためにツアンポー峡谷へと再び向かっていく。
 ツアンポー峡谷をめぐる探検史自体がまず圧倒的に面白い。あらゆる文献にあたり、実際に現地に何度も足を踏み入れていることから、記述に曖昧(あいまい)な部分がなく、現代にいたるまで脈々と続く探検家たちの足どりを十二分に知ることができる。そして、その系譜の最後に位置する角幡さんが、何を成し遂げたのかはっきりとわかった。何より、過剰で極端でたがの外れた角幡唯介という人物が命をすり減らして手に入れた一瞬の生、その凝縮された輝かしい時間を、冷静かつ的確な筆致で分かち合ってくれた彼にぼくは心から感謝したい。
 評・石川直樹(写真家・作家)
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 集英社・1680円/かくはた・ゆうすけ 76年生まれ。早稲田大学探検部OB。

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