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駆けぬける現代美術 1990—2010 [著]田中三蔵

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年02月13日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■濁流に身を投げながら水先案内

 現代美術とは?と問われて何と答えよう。現代の時代の美術を指すといっても多様化した時代の多様化した表現は一方向を向いていない。そんなえたいの知れない現代美術を相手に美術記者としての健脚が20年間の現代美術の森の中を文字通り駆けぬけて足で書いた評論である。
 大半の文章はon timeで本紙の文化面で触れたものだが、こうして的確に交通整理されて一望すると日本の現代美術の歴史が鮮やかに炙(あぶ)り出される。そして見えなかったものが見える形になってくるのだった。
 遠くなった前衛の時代に私の創造もstart lineに立ったが、この本と並走して行くとこのまま私の歩んだ道程の風景が鮮やかに後を追ってくる。この間、著者は「近代の見直しと再評価」の時期を経て、加速的に今日の現代美術の濁流の只中(ただなか)に身を投げながら時にはわれわれ実作家の水先案内の役割をも果たしてくれていたことを実感する。
 現代美術の歴史の河は土石流と化し、その混迷の近代的時間の中でわれわれは過去にも未来にもその拠(よりどころ)を求めながら反復運動を繰り返し、はてさてどこに行こうとしているのだろうか。その時旗印になるのはこのような著者の歴史的視点から回顧する態度と意識である。そのためには「駆けぬける現代美術」へのstance(観点)が求められるのは当然ではないだろうか。
 内面に下降していくだけの従来の技術至上主義的な美術と一線を引く現代美術は社会や大衆をのみ込みながら、さらに鑑賞者の欲望と意識を想定した参加型の美術へと変貌(へんぼう)する中で著者はこの時代を共有する「私たち」が作家に無言のうちに作品を依頼して「共同制作」をしているのではないかと時代の深層意識に焦点を当てながら「美術の歴史は作家だけではなく享受者がともに作る」というthesis(主題)の確信を得、その享受者の側からの転換を試みたいと主張。
 最後に著者は「美術は進歩しないが拡大する」と結ぶ。まるで人類の歴史のことをいわれているみたいだ。
 評・横尾忠則(美術家)
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 岩波書店・2835円/たなか・さんぞう 48年生まれ。元朝日新聞編集委員。

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