書評・最新書評

戦時児童文学論―小川未明、浜田広介、坪田譲治に沿って [著]山中恒

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2011年02月06日

[ジャンル]歴史 文芸 新書

表紙画像

■軍国主義の中での変質を検証

 日本の児童文学史百十余年、その中の「十五年戦争」間のさらに「総力戦体制が強化された五年程度の期間」に、児童文学者はどのような意識で、何を書いたかを確かめたい、と著者は言う。とくにこの世界の大先達、小川未明、浜田広介、坪田譲治を中心にその作品をひとつずつ検証していくとの姿勢で本書は書かれた。
 この期間に彼ら3人の作品、それが日本軍国主義の実相の中でテーマは、登場人物はどう変化したかを具体的にストーリーを追いながら説いていく。児童文学が少国民文学に、人道主義、アナキズムに関心をもっていた小川未明が、日中戦争後の日本少国民文化協会の発足後はその中軸にあって、明治以後の功利主義思想にもとづいた自由主義の延長線で児童雑誌は編まれていると言いだす。著者は未明の変質にふれながら、「未明先生、こりゃ行き過ぎというもんじゃありませんか」と独り言をつぶやいたというが、広介、譲治にしても戦時下ではまるで銃後督戦作家だとその作品を解剖していく。譲治の「太郎のゆめ」は1年生の太郎がおじいさんに北京で「日本と支那の戦争がはじまった」と聞かされ、戦争とは鉄砲を撃つだけではないと、国家非常時の長期戦体制が国策に則(のっと)って子供に説かれる。広介も「わにとへいたいさん」では、「わたくしは、日本の兵隊さんの、とうとい、つよい、やさしい姿をはっきりと書きあげました」と作者の言葉で明かす。
 未明は大正期の童心文学の先駆者、広介はやはり大正期に小説から児童文学にと移り、譲治は昭和10年に雑誌『改造』での児童小説でデビュー。確かに改めて紹介されるストーリーにふれていくと、戦時下に入るまでの牧歌的、民話的な人間味あふれた作品が急激に国体原理主義の宣伝と化している。なぜ、と著者は問う。同時にもし自分がこの時代に生きていたら、やはりそのような作品を書いたかと自問し、「私は臆病な小心者」だから書いただろうと自答する。といって当時の少国民としてこれらの作品を許すか否かは別問題との指摘は強烈な自戒である。
 評・保阪正康(ノンフィクション作家)
       *
 大月書店・2940円/やまなか・ひさし 31年生まれ。児童読み物・ノンフィクション作家。

関連記事

ページトップへ戻る