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ドストエフスキー [著]山城むつみ

[評者]奥泉光(作家)

[掲載]2011年01月23日

[ジャンル]文芸

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■人間と言葉の関係、根本から問い直す

 ドストエフスキーの小説を読むと、他の小説を読むときとは何か根本的に違うことをしていると感じられる。格段に面白いとか、個性的であるといったことではすまされない質の違いがあるように思える。その違いはどこからくるのだろうか?
 ドストエフスキーの創作の秘密に最も肉薄した批評家は、おそらくミハイル・バフチンであろう。独自の言語論を駆使して書かれたバフチンのドストエフスキー論、そこを出発点として、さらに秘密の森林の奥深くへと著者は分け入っていくのであるが、「悪霊」「罪と罰」をはじめ多くの作品を取り上げては、あきれるくらいに粘り強く、徹底踏査するように読み込み分析していく著者の姿は、人跡未踏の秘境を目指す孤独な冒険者さながらである。
 本書で著者が分析の主要な武器としたのは、バフチンの「ラズノグラーシエ」なる概念である。「異和」と訳してよいこのロシア語こそがドストエフスキーを読み解く鍵であると著者はいう。では「ラズノグラーシエ」とは何か?
 たとえば、ここに死の床にある男がいる。彼は自分の人生は満足すべきものであったと考えている。そこへ誰かがやってきて、「あなたの人生は満足できるものだった」という。もちろん男はそう思っているわけだし、その声に当然唱和するはずである。ところが、自分でそう思っているにもかかわらず、他人から同じことをいわれたとたん、男は激しい異和に襲われてしまう。他者の声で言葉が響くとき、同じ言葉であるのに、まるで違う、むしろ正反対の意味を帯びて聴こえてしまうのだ。ドストエフスキーの小説の人物たちは、たえずこの「異和=ラズノグラーシエ」にさらされる。つまり自己と他者の間には越え難い閾(しきい)があって、言葉の意味は閾の強烈な磁場のなかでねじ曲がり、言葉が予想のつかぬ運動をして渦巻くのが、ドストエフスキーの小説のあの熱感の秘密だと著者は解析する。
 さらに興味深いのは、小説作者のかたりですら、この異和を引き起こす事実である。死の床にある男。彼の内面を作者はもちろん描ける。透明なかたりでもって、「自分の人生は満足すべきものだった」と男に内語させることは容易だ。ところがドストエフスキーの人物たちは、そうしたニュートラルな作者の声にすら異和を覚える! 彼らは「違う」と作者に向かって反発する。作家が人物の内心を描くという行為そのものが、人物のありかたを揺るがしてしまうのだ。結果、小説はどこへ向かうか分からぬものになり、作家は自己の創造した人物たちとの「対話」をひたすら続けるほかなく、目指す場所へと至る奇跡を祈り願いながら言葉の秘境をさまよい歩く。
 著者もまたドストエフスキーとともに秘境を歩いてみせる。それは単に文芸技法を追うことではない。人間と言葉の関係を根本から問い直す作業である。この労多い作業が刺激的なテクストとなって結実した。
 評・奥泉光(作家・近畿大学教授)
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 講談社・3780円/やましろ・むつみ 60年生まれ。文芸評論家。92年に「小林批評のクリティカル・ポイント」で群像新人文学賞評論部門受賞。『文学のプログラム』『転形期と思考』。

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