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1秒24コマの美―黒澤明・小津安二郎・溝口健二 [著]古賀重樹

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年01月23日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■巨匠の映画、核心にある「絵画」

 世界の映画史に栄光の名を刻んだ黒澤明、小津安二郎、溝口健二の3監督の作品の骨格を形成する絵画感覚に注目したジャーナリストの著者が、その卓越した美術知識を武器に、クロスオーバー的視線で画面の隅々まで舐(な)め尽くす絵画論的映画論を書いた。
 ヒューヒューと唸(うな)りを上げる疾風。砂塵(さじん)の中から亡霊のように浮上して近づいてくる野犬。その口には切断された人間の手首。黒澤の「用心棒」の冒頭は〈地獄草紙〉の凶画で幕が開く。
 親子が並んで渓流釣りに興じている。2本の竿(さお)が同時に弧を描くその反復運動はウォーホルの並置された同一画面を連想させる。小津の「父ありき」の一場面だ。
 溝口の「近松物語」で心中を覚悟した男女を乗せた夜舟は、ベックリンの〈死の島〉に間もなく吸い込まれて行くだろう。
 三人三様の絵画的場面を著者が次々と発見して、ボヤーとしていると見過ごす場面を読者の眼前に、言葉でビジョン化して印象づけてくれるのは、もうひとつの映画鑑賞術であろう。巨匠たちの絵画的表現は、われわれ美術家に対する挑戦でもある。だったら美術の側からも、何やら返球を投げてみたくなりました。
 小津は「彼岸花」や「秋日和」で画面の至るところに「赤」を置き、観(み)る者の注意力を試そうと図る。緊張感を漂わせる「赤」の配置そのものは初歩的な空間構成だが、この赤によって画面が突然、抽象化する。また赤の補色の緑もうまく対置させ、この2色がまるで碁盤の石のように画面上で戯れている。
 黒澤の狂気を想(おも)わせる膨大な数の絵コンテは映画制作を実現させるための呪術以外の何ものでもない。黒澤の完全主義は溝口にもある。彼の完全主義も常軌を逸しており、駄目出しの連続で俳優をまるで絵の具の色のように扱う。
 著者は多くの証人の口を借りながら「絵画が映画になる時、映画が芸術になる」ことを実証して見せてくれた。さあ、DVDをセットして発見の旅に出よう。
 評・横尾忠則(美術家)
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 日本経済新聞出版社・2625円/こが・しげき 61年生まれ。日本経済新聞社編集委員。

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