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荒廃する世界のなかで―これからの「社会民主主義」を語ろう  [著]トニー・ジャット

[評者]姜尚中(東京大学教授・政治学、政治思想史)

[掲載]2011年01月16日

[ジャンル]歴史 政治 人文

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■政治の軽さ批判した「白鳥の歌」

 市場経済を中心とする経済のグローバル化とは、18世紀のフィジオクラート(重農主義者)が主張していたように、自然によって定められた「摂理」のようなものなのか。とすれば、わたしたちは、その余りにも深刻な荒廃を嘆くだけで、それに従うしか術(すべ)はないことになる。しかしそれだけでいいのか。
 本書は、こうした問題認識のもと、荒廃する世界への満身の怒りを込めて歴史家、故トニー・ジャットが残した、若き人々への「白鳥の歌」である。そこに漲(みなぎ)る、サッチャー政権以来の欧米の浅ましいまでの市場礼賛と「政治の耐えがたい軽さ」への批判は実に手厳しく、容赦がない。ただし、誤解してはならない。ジャットは、急進的な左翼や新左翼の季節外れのアジテーターではないのだ。彼はもっと地に足がついている。いやある意味で保守的とすら見えないことはない。なぜなら、彼が継承し、そして新たな生命を吹き込もうとしているものは、20世紀の苦闘の歴史から勝ち取られた遺産にほかならないからだ。それは、やや図式的に説明すれば、福祉国家=社会民主主義=ケインズ主義のコンセンサスということになる。このコンセンサスとは、道徳的な配慮と共通善の実現に向けて可能な限り社会の平等を実現し、社会を生きる者との間の、さらに死んだ者との、そしてこれから生まれてくる者との協力関係として蘇(よみがえ)らせることであった。このために、公共サービスや社会的セーフティーネットの供給が政府の役割としてクローズアップされたのだ。もちろん、こうした理想とは裏腹に、福祉国家という「摂理による国家」の内部には様々な矛盾や腐敗が累積していた。にもかかわらず、福祉に不名誉の烙印(らくいん)が押され、「社会の割れ目」に落ち込んでいく人々の数が相対的に抑えられていたのも事実である。
 それでは、どうしてこのようなコンセンサスがさっぱりと洗い落とされてしまったのか。ここで断絶の知的在庫を供給し、結果として右派的保守の「急進的な改革」に多大の正当性の根拠を与えたのが、ミーゼス、ハイエクら、オーストリアの反動と左右両極の全体主義から逃れてきた亡命知識人だった。彼らは、国家それ自体を解決ではなく問題とみなし、経済生活から国家を解除するとともに、ケインズの言う「権威の座にある狂人」たちに「民営化礼賛」による国家の「経済力や主導力の解体」への知的インセンティブを与えることになったのである。その結果はどうなったか。経済のみならず、政治においてもわたしたちは「消費者」の地位に甘んじざるをえなくなり、「民主主義の赤字状態」は深刻になるばかりである。
 このような荒廃した世界に対して世論を鍛え直して公的空間を活性化させ、市民的参加によって政府の役割を再び強化すべきだと説くジャットの提言には、未来は過去にあるという現代史家ならではの歴史の知恵が光っている。
 〈評〉姜尚中(東京大学教授・政治思想史)
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 森本醇訳、みすず書房・2940円/Tony Judt 1948年、ロンドン生まれの歴史家、元ニューヨーク大学教授。『ヨーロッパ戦後史』など。2007年度ハンナ・アーレント賞。昨年8月、筋萎縮性側索硬化症の合併症で死去。

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