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江戸社会史の研究 [著]竹内誠

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2011年01月16日

[ジャンル]歴史 社会

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■江戸っ子の生態、熟達の筆で

 熟達の江戸社会研究者、その筆によって描かれる江戸という大都市と江戸っ子の生態は、本来近世から近現代に至る日本社会と日本人の原景であるべきだった。二世紀半余にわたり「徳川という一政権が、平和裡(り)に国内を実効的に支配」したのは、「為政者と被支配者との間で、何らかの折り合いをつける知恵」があったからだ。
 武家50万人、町人50万人の大都市、その面積は武家が65%、町人は20%、確かに町人は長屋住まいで生活も汲々(きゅうきゅう)としているのだが、その生活信条は筋道が通っている。満員の茶屋でも武家が優先されるでもなく並んだ順、18世紀後半には米買い占めの富裕層や商店の打ちこわしが頻発するが、そこにも掟(おきて)があり、決して対象以外には手をださない。打ちこわし時の盗みも許さない。江戸社会では喧嘩(けんか)は大目に見られているが、それだけに打ちこわしも悪徳富裕者と町人の喧嘩にすりかえてお咎(とが)めなしにしてしまう知恵がある。
 この江戸は政治都市、武家の町、大消費都市、観光都市、庶民のエネルギーの町、そしてなにより国際都市だった。オランダ人の江戸参府の定宿・長崎屋には杉田玄白、大槻玄沢、平賀源内ら多数が訪れては蘭学(らんがく)にふれる。大名でもこの長崎屋サロンに顔をだすことがあった。知的欲求、文化的充足感を満たす空間も用意されていたのだ。むろん幕府は支配監視の目も満遍なく配置していたが、必ずしも弾圧を前面にだしていたわけではないとも論述されていく。
 紀州田辺藩の医師が幕末に書いた『江戸自慢』は、江戸見聞記である。地方の武家が江戸っ子にバカにされまいと気づかっていたことがわかる。江戸っ子という語は明和8(1771)年ごろから川柳や洒落(しゃれ)本、黄表紙などの小説に用いられたのだが、この意味は将軍のお膝元(ひざもと)、田舎人に比べて物わかりがいいとか金遣いもきれいと、いわば粋な存在の代名詞でもある。自立する芽を抱えていたのだ。
 生粋の江戸っ子の著者による江戸研究3部作の一冊、近代日本の誤謬(ごびゅう)は江戸社会研究をおろそかにしたツケだと実感する。
 評・保阪正康(ノンフィクション作家)
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 弘文堂・3360円/たけうち・まこと 33年生まれ。東京都江戸東京博物館館長。東京学芸大学名誉教授。

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