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デカルトの骨―死後の伝記 [著]ラッセル・ショート

[評者]田中貴子(甲南大学教授)

[掲載]2011年01月09日

[ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■「近代」との歩み、頭蓋骨までも


 虎は死して皮を残す、という。では、人間は? 業績、著書、あるいは伝説だろうか。いや、そんなものは時の移ろいの中でははかない。確実に残る、といえるのは、骨、だけである。
 『方法序説』の著作で知られる17世紀の哲学者、ルネ・デカルト。精神と肉体とを分けて事物を考える二元論を提唱し、それまで主流だったアリストテレス主義を根底からひっくり返したとされるフランス人である。その功績により「近代主義の父」とも呼ばれるこの偉人は、生前だけでなく、死後も「近代」の進展に深く関わったというのだ。それはデカルトの思想が、というだけではない。彼の残した一個の頭蓋骨(ずがいこつ)が人々の手に渡りながら、学者の世界で大きな論争を引き起こしたというのである。まさに、身も心も「近代」とともに歩んだ学者といってよいだろう。
 こうしたデカルトの骨をめぐって引き起こされるミステリーを精緻(せいち)な調査のもとに綴(つづ)ったノンフィクションが本書である。著者は17世紀の文献を読んでいて、スウェーデンで客死したデカルトが埋葬された後、その骨が数奇な運命をたどったことを知る。デカルトの墓は死後16年目に掘り起こされ、その骨はまるでカトリックの「聖遺物」(崇敬される聖人の遺骨など)のように扱われ、故郷のフランスに送られたのである。
 ところが、フランスには頭蓋骨以外の骨しか届いてはいなかった。頭蓋骨はスウェーデンで人の手を転々とし、結果的にフランスに返還される。しかし、その頭蓋骨の真偽問題が発端となり、その後21世紀に至るまで、デカルトの骨は比較解剖学や骨相学、顔学といった新たな学問の誕生に遭遇してゆく。
 興味深いのは、デカルトの二元論を象徴するかのように、精神のやどる頭蓋骨と肉体そのものであるその他の骨とが早期に分離した偶然である。デカルトは、実は単なる二元論ではなく、二つをつなぐ「心」といってよい概念をも論じていたが、本書のラストでデカルト自身の「心」の秘密が明かされるのはじんと来る。徹夜覚悟でぜひ一読を!
 評・田中貴子(甲南大学教授・日本文学)
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 松田和也訳、青土社・2520円/Russell Shorto 米国生まれ、オランダ在住のジャーナリスト。

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