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字幕の名工―秘田余四郎とフランス映画 [著]高三啓輔

[評者]楊逸(作家)

[掲載]2011年06月12日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■原語の真髄伝える創作的妙

 ハクスリーの『進化と倫理』を「天演論」と名付けて初めて中国に紹介した厳復は、翻訳について「信達雅」という三字ポリシーを持っていた。信は原作に忠実であること。達は原作の真髄(しんずい)まで伝わるように訳すこと。雅は翻訳文が自然で美しいこと。 二つの言語を操る人間が溢(あふ)れる今日、まだそんな古臭い言葉に囚(とら)われているのかと言われてしまいそうな気もするが、現に翻訳物(日本語も中国語も)を開くと、原作の言葉を忠実に訳して「雅」といえる流暢(りゅうちょう)で美しい文章にしたものの、原作の真髄を「達」の境地まで表現できたものは案外少ない。とりわけ映画の字幕となれば、いかに短いフレーズで異文化の溝を感じさせずに訳すかは至難の業だ。
 本書は、日本でのフランス映画の最盛期(昭和三十年代)に、最も活躍した字幕の名工秘田(ひめだ)余四郎の人生を追いかける形で、日本の現代映画史を振り返りつつ、字幕翻訳術を探ろうとしている。
 「忠実なる醜女(しこめ)」と「不実なる美女」――原文への忠実性にこだわるかこなれた日本文にこだわるかという、常に翻訳者に付き纏(まと)う究極の二者択一の道を、例えて表現した言葉だ。むろん秘田は後者に当たる。原文と読み比べれば、秘田訳はこなれた「日本文」という枠を越え、創作の領域に入るある種の超越すら感じさせた。
 無頼学生から酒と女大好きな男に成長。富を築いても妻子に残したのは借金だけ。その荒れた人生が、まさに彼の「天井桟敷の人々」での「創作」セリフ、「俺は絶対に自分を信じている。盗みも殺しも辞さぬ俺の行く道は一筋。やがては飛ぶ首を真直(まっす)ぐ立てて闊歩(かっぽ)するのだ」を生む。著しい意訳だが、的は射ている。
 名工の訳したセリフの中からは、破天荒な人生から得た、深みのある人生観がありありと染み出ている。翻訳に求められる「達」とは、このことを言うだろう、と頷(うなず)いた。

    ◇
たかみ・けいすけ 37年生まれ。元朝日新聞記者。『鵠沼・東屋旅館物語』など。

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