書評・最新書評

ムッソリーニ (上・下) [著]ニコラス・ファレル

[評者]山形浩生(評論家)

[掲載]2011年07月31日

[ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝

表紙画像

 驚くなかれ、本書はなんと、ファシズムは決して悪い政治体制ではなく、ムッソリーニは優れた政治家だったと主張する本だ。
 即座に反発して短絡的に軍靴の音を懸念する人もいるだろう。だが罵倒語として濫用(らんよう)されるファシズムの具体的中身やムッソリーニの活動をどこまでご存じだろうか。ナチスの仲間だから、右翼全体主義の悪い連中のはず、という程度の理解も多い。
 本書はそうした無知と偏見につけこむ。既存のムッソリーニ像は左翼プロパガンダで歪(ゆが)んでいた、と著者は語る。伊ファシストの実際の活動を見よう。対外侵略は(すぐ負けたし)大したことない。ナチスとの同盟は、侵略回避の緊急措置だ。産業面などで成果もあったし、政策は社会主義的な面も強い。独裁強権的な弾圧はあれ、ユダヤ虐殺のような悪逆非道はわずか。欠点は認めても、悪の権化扱いは不当だ、という。
 記述は実に詳細で、しかも小ネタ満載。派手な女性遍歴談義など爆笑もの(手も早いが果てるのもお早かったとか)。退屈しないことは請け合いなのだが……
 読者として気になるのは、その肯定的評価の妥当性だ。本書の立場は歴史修正主義と呼ばれ、批判されつつもイタリアでは有力だ。その背景には、既存の定説が羮(あつもの)に懲りすぎ、ファシストといえば長所皆無のゴロツキ集団と決めつけすぎて逆に嘘(うそ)くさくなったこともある。脅しと偽装だけで内外から長期的な支持を得られるか? 本書の議論では、当時彼らの持っていた長所や魅力は理解しやすい。
 その一方で本書の擁護論も弁解がましい。「他国もやってる」「仕方なかった」。ナチ便乗のユダヤ排斥は、民族ではなく生き様が対象だという逃げ口上には唖然(あぜん)。幸い悪質な歪曲(わいきょく)は訳注で指摘されている。訳に凡ミスや過度の直訳が多いのは残念だが、おかげで苦しい主張をレトリックでごまかす著者の手口が時に不発なのは、けがの功名か。
 だがだれが正しいのか? ムッソリーニの社会党離反は、金目当ての転向か、当時の無能な社会党に対する信念の反旗か? どちらもある。また本書は国民的支持の高さを正当性の証しとする。だがそれが当てにならないのは、最近の北アフリカ動乱が示す通り。
 結局、一方的に悪と決めつけるのは無益ながら、本書の議論も鵜呑(うの)みにはできない。だが本書の情報量は豊富だし、重要な部分では既存の定説も批判的に対比され、争点は明確。下世話な楽しさもあり、眉への大量ツバつけは必須ながら、読者なりの評価を下せる材料はある本だ。そして多くの人がそれを実践することこそ、本当に必要なことではないか。
    ◇
 柴野均訳、白水社・上下巻とも3990円/Nicholas Farrell 英ロンドン生まれ。ジャーナリスト。ケンブリッジ大学で歴史学を学び、98年から、ムッソリーニが生まれたイタリア・プレダッピオに暮らして本書を執筆。

関連記事

ページトップへ戻る