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水の透視画法 [著]辺見庸

[評者]後藤正治(ノンフィクション作家)

[掲載]2011年07月31日

[ジャンル]文芸

表紙画像

 いま言葉が立ち上がって食い込んでくる稀有(けう)の書き手が辺見庸である。3年にわたり共同通信より地方紙に配信されたエッセーがまとめられた。時事問題も取り上げられてはいるが、それは素材であって、思考は事象の根底へ、そして自己自身へと向かう。箴言(しんげん)と実存の書、あるいは黙示録の趣さえもある。
 《黒っぽい「なにか」がやってくるとずっとおもっていた》というごとく、破局への重い予感が色濃く漂う。
 デジタル社会と軌を一にするごとく、世を侵食する「すさみ」は覆うべくもない。詰まるところ、売れるもののみが価値がある。旧ソ連の強制収容所(ラーゲリ)を生き抜いた作家のシャラーモフに言及しつつ、現代は「資本による新たなラーゲリ」ではないかと捉える。その意味でいえば、いま世界経済を席巻する中国もまた「資本に負けたのだ」と。
 そして一方、われわれ自身の「主体」の空洞化も覆うべくもない。深々とした思索や沈黙が消えていった。尊ぶべきものを粗末にしているうちに言葉を失っていったのだった。《ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体である私たちを見はなすのです》。ラーゲリの棲(す)み人であった詩人石原吉郎の言である。
 連載の最終回は、著者の故郷・東北が未曽有の惨禍に見舞われた直後と重なった。予感は的中したが、しかしこれも序章にすぎない。戦争か、あるいは日々蝕(むしば)まれゆく「なにか」か。本書の序文はこう締めくくられている。
 《これは結末ではなく、新たなはじまりの景色ではないのか。未来への予感は依然、本書のなかにひそみ、まだ見たこともないおどろくべき結末をまっているはずだ》
 本書の執筆は「脳出血の後遺症と二つのがん」を抱えつつ成されている。身を削ってつづられた文章だ。言霊がいまもとどまっている。
    ◇
 共同通信社・1680円/へんみ・よう 44年生まれ。『自動起床装置』『もの食う人びと』『生首』など。

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