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私のいない高校 [著]青木淳悟

[評者]奥泉光(作家)

[掲載]2011年07月31日

[ジャンル]文芸

表紙画像

 私たちは誰もが一個の秩序ある宇宙(コスモス)に棲(す)んでいる。私たちはこの宇宙のなかで喜び悲しみ、希望を抱き、ときに挫折しながら自己の生の意味を実感する。もし宇宙が失われたら、私たちは混沌(こんとん)の無明に裸で投げ出され、「私」はたちまちばらばらな断片に解体してしまうだろう。
 私たちの生きる宇宙を支えているのは物語である。物語とはただの「お話」ではなく、宇宙の姿を具体的に示す言葉の働きである。そのことが明瞭に分かるのは宇宙が壊れかけたときだ。最愛の者を突然失った人は、生の意味が消え、己の宇宙が破壊される危機を経験するだろう。そんなとき物語が作動する。神様がそれを望まれたのだ。避けられない運命だったのだ。他人を生かすための犠牲の死だったのだ……等々の物語によって人は癒(いや)される。傷つき壊れかけた宇宙が恢復(かいふく)する。物語は人類とともに古く、これからも消えることはない。
 小説はしかし物語とイコールではない。物語の力を引き出しはするけれど、それ自体は物語ではない。むしろ物語を批評する所に本領はある。
 宇宙はときに人間を閉じ込める自我の檻(おり)ともなる。「私」の宇宙だけが排他的にあるのではなく、他人には他人の宇宙が存在する。この単純な事実を容易に忘れさせる性質がそこにはあるので、だから人々が共働して一つの世界を築いていくためには、他者の棲む宇宙への想像力を持つと同時に、己のそれを相対化することが必要である。小説とはそうした倫理につながるジャンルなのだ。物語にすぎない小説ばかりが氾濫(はんらん)する昨今、小説の倫理に忠実な本書こそ小説の名にふさわしい。これをもし退屈だと感じるとすれば「私」の宇宙を慰安してくれる物語がここに見出(みいだ)せないからである。世界を遠い距離から眺めることで、登場人物らの複数の宇宙を巧みに並列する作者の方法、その徹底ぶりには瞠目(どうもく)するほかない。
    ◇
 講談社・1680円/あおき・じゅんご 79年生まれ。作家。05年『四十日と四十夜のメルヘン』で野間文芸新人賞。

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