書評・最新書評

共同体の救済と病理 [著]長崎浩

[評者]姜尚中(東京大学教授・政治学、政治思想史)

[掲載]2011年08月21日

[ジャンル]政治 社会

表紙画像

■革命への熱狂が生む、逆ユートピアの悲惨

 もっと自由を、もっと共同性を。この救済共同体への渇望が大衆を駆動し、歴史を動かすモメンタムに転化するとき、どのような悲惨な逆ユートピアが待ち構えているのか。この点を明らかにするのが本書の狙いだ。全共闘運動の高揚期に『叛乱(はんらん)論』でデビューした著者のラディカリズムは、いまも健在である。オウム真理教や人民寺院、新左翼の前衛組織やロシア革命の労農兵士代表ソビエト、さらにパリ・コミューンに至るまで、さまざまな衣装をまとった共同体を、フロイトの集団心理学を手がかりに古代ユダヤ教罪悪共同体や受苦共同体とダブらせて論じる知的な力業には驚くばかりだ。
 それにしても、なぜフロイトなのか。著者のみるところ、フロイトは、神経症患者の臨床を通じて時代が大衆の集団神経症的な病理に取り憑(つ)かれつつあることをハッキリと認識していた。この「大衆心理の悲惨」こそ、ボリシェヴィズムやナチズムを内側から突き動かす「自然力」にほかならない。その御しがたい集団神経症的な強迫の脅威を背景に、フロイトは『人間モーセと一神教』を書いた。この点に著者は注目する。なぜなら、知的な類推を逞(たくま)しくすれば、そこには共同体の内なる超自我としての宗教的・革命的な理念、共同体の自我とも言うべき政治、共同体のエスとしての大衆の無意識、さらに外界に対応する外敵といった原型的なパターンが出そろっているからである。
 著者は、その祖型を探り当てるべく、古代ユダヤ教の救済共同体の読み直しを試みる。ウェーバーの『古代ユダヤ教』やフロイトの精神分析などを駆使しながら、独自に読み解かれる苦難の歴史と共同体的結束の強化のパラドクスは圧巻である。中でも特に本書で異彩を放っているのは、フロイトの言う、殺害された「原父」の代理としての預言者に関する記述である。ウェーバーやフロイトに倣って無償の「デマゴーグ」や「政治的宗教的アジテーター」とみなされる預言者たち。著者は彼らを、後々、「大衆の叛乱」を背景に登場する前衛党のリーダーや「憂鬱(ゆううつ)なる党派」のインテリと結びつけている。このような時空を超えた結びつきは、牽強付会(けんきょうふかい)の誹(そし)りを免れないかもしれない。しかし、著者はそれを百も承知なはずだ。
 むしろ行間から読み取るべきは、本書の批判の刃は著者自身にも向けられていることだ。本書が挑発的な問題提起の書であることは間違いない。特に大震災以後、「閃光(せんこう)のように立ち上がる相互扶助と連帯のパラダイス」が、再び、救済共同体への熱狂を増幅させることになりかねないからだ。共同体の病理を繰り返さないためにも、本書は一読の価値がある。
    ◇
 作品社・3360円/ながさき・ひろし 37年生まれ。評論家。政治思想・科学技術・身体運動論を論じる。『叛乱論』『叛乱の六〇年代』など。

関連記事

ページトップへ戻る