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厳復(げんふく)―富国強兵に挑んだ清末思想家 [著]永田圭介

[評者]楊逸(作家)

[掲載]2011年09月11日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■中国で生きなかった近代思想
 厳復――その偉大さを日本人にわかりやすく伝えるためか、本書の帯に「中国の福沢諭吉」の文字が躍る。トマス・ハクスリーの『進化と倫理』をはじめ、ハーバート・スペンサーの『社会学研究』やアダム・スミスの『諸国民の富』、モンテスキューの『法の精神』などを翻訳し、西洋近代思想を中国に紹介して、国の富強への道を模索し続けた中国近代啓蒙(けいもう)思想家である。
 しかし、その名の浸透は、日本の一万円札に印刷された福沢諭吉に遠く及ばず、外国人はおろか、現代中国においても教養階層にとどまっている。この現象こそが、中国はいまだに政治の近代化を実現できていない所以(ゆえん)を語っているのではないかと、そんな気がしてならない。
 アヘン戦争後、内憂(太平天国農民蜂起)外患(日ロ戦争や日清戦争)が続き、気息奄々(きそくえんえん)としていた清王朝。そんな中を生きる厳復は、「清国海軍欧州派遣留学生」としてイギリスに渡った。在英中、「時代に強い影響を与えたイギリス功利主義派思想家」――アダム・スミス、ベンサム、マルサス、ミルなどの著書にのめり込んでいく。――のちに、彼を思想家にさせた運命の出会いとも言えよう。
 帰国後、軍人・官僚への道に進む一方、「変法(政治改革)」を呼び掛け、李鴻章や張之洞など時の実権者の知遇を期待するが、ことごとく裏切られた形となった。国の無能、官僚の腐敗――清王朝が滅びる直前の絶望の中にあってなお、厳復は、精力的に筆を揮(ふる)っていた。
 国の富強を目指すには教育が要だと考え、教育救国論を唱え、北京大学の学長になったものの、生活出来ないほどの困窮に追い込まれ、あえなくやめてしまう。
 福沢諭吉ほどの思想家がいても、生かす空間は中国になかった。そのような国の体質も、厳復の波乱に満ちた人生に見え隠れする。
    ◇
 東方書店・2100円/ながた・けいすけ 35年生まれ。日本中国文化交流協会会員。『秋瑾―競雄女俠伝』など。

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