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五十鈴川の鴨 [著]竹西寛子

[評者]松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学)

[掲載]2011年09月18日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■気品の筆、一幅の日本画のように

 著者の久しぶりの短編集。静かな風景が心に迫る。たとえば、伊勢の内宮に参拝して、夕刻、茶店の硝子(がらす)窓越しに目にした五十鈴川の流れ。親子らしき五羽の鴨(かも)が眼下を泳いでいく。連れが一言、「いいなあ」と呟(つぶや)く。長閑(のどか)で平和なひととき。しかし、この「いいなあ」に自分の知らない万感の思いが込められていたことに、語り手の「私」は一年以上経って気づく。
 淡い交わりの記憶と、ときが過ぎて初めて知らされる真実。男女の旅の話かと思われるかもしれないが、実はそうではない。生きているあいだに人が体験するさまざまな出会いと別れの形、そのなかの小さなエピソード、といってしまえばそれまでかもしれない。その一瞬が、気品のある筆で、一幅の日本画のように美しく切り取られている。
 旅の話、別離の話。家の話も心に残る。登場人物が「老人」と初めから書かれている短編もいくつかある。長く生きてきて、死に別れた人々の思い出を脳裏に甦(よみがえ)らせようとするとき、「記憶の頼み難さ」にふと戸惑いを覚え、「雲間の月」のように思えていた突出した記憶が、実は「忘却の海」と変わりないものであったと悟らされたりする。「氷の枕」という作品では、記憶の証拠を求めようと古い手紙を探す老女が登場する。手紙は見つからない。しかし、それで過去が否定されるわけではない。手がかりが不鮮明であるとしても、自分は確実にそれぞれの瞬間を生きてきたのだし、これからも生きていくのだという、達観が伝わってくる。「川の流れのように」という歌もあるが、まさにすべてを胸に納めて流れていく川のような人生。
 そう考えると五十鈴川の鴨も人間の謂(い)いであるように思えてくる。流れていくとしても、無力感や諦念(ていねん)に満たされるとは限らない。むしろ、いま、生きてここに在ることを慈しむ心情が、行間から溢(あふ)れ出してくるのである。
    ◇
 幻戯書房・2730円/たけにし・ひろこ 29年生まれ。作家。芸術院会員。『管絃(かんげん)祭』など小説、評論、随筆多数。

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