書評・最新書評

いまファンタジーにできること [著]アーシュラ・K・ル=グウィン

[評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学)

[掲載]2011年09月25日

[ジャンル]教育 人文 科学・生物

表紙画像

■真偽の見え方、美醜の基準示す

 ヒトはサルの幼形成熟(ネオテニー)として進化した。そんな魅力的な仮説がある。子供時代が延長され、子供の特徴・特性を残したままゆっくり成長する。すると好奇心に満ち、探索し、道草を食う。攻撃よりも接近、争いよりも遊び、疑いより信じることが優先され、合理より物語に惹(ひ)かれる。つまり、学び、習熟し、想像力の射程が延びる。これがヒトをヒトたらしめたのだと。
 『ゲド戦記』で世界を魅了し、愉快な『空飛び猫』(邦訳は村上春樹)を生み出したル=グウィンは実作者の立場から、ファンタジーの作用もまさにそこにあると言う。
 ファンタジーとは、子供だましでも夢物語でもなく、まさに子供であるときにしか感得できない力、子供だけに見える世界を与えつづけることだと。それは、レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」と名づけたもの、あるいは児童文学者の石井桃子が言った「大人になったあなたを支え続けるもの」と同じでもある。
 なぜ、ファンタジーでは重力が無化され、動物たちが人と会話するのか。それはデカルト的二元論、キリスト教的排他主義、行動主義理論などがこぞって決めつけてきた大人の理屈、すなわち機械論的自然観から本来的に全く自由であるからだ。この本を読んで、私はかつて昆虫少年だったのに、なぜファーブルではなく、まずドリトル先生の物語に惹かれたのかという疑問が解けた気がした。
 ファンタジーは、善悪の違いを教えるだけでなく、むしろ真偽の見え方を教える。それ以上に美醜の基準、フェアネスのありかを示す。物語のかたちをとって。なぜ生命操作が美しくなく、どうして巨大技術が醜いのかを教えてくれるからである。
 あれだけの作品群を書きつつ、こんなに緻密(ちみつ)な評論をもものする。ル=グウィンをル=グウィンたらしめる理由がここにある。
    ◇
 谷垣暁美訳、河出書房新社・2100円/Ursula K. Le Guin 29年生まれ。作家。

関連記事

ページトップへ戻る