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ツナミの小形而上学 [著]ジャン・ピエール・デュピュイ

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2011年09月25日

[ジャンル]社会

表紙画像

■技術とシステムがもたらす災禍

 本書の著者デュピュイによれば、戦後広島と長崎を訪れた哲学者ギュンター・アンダースは、爆撃生存者の証言に驚いたという。彼らは原爆を投下した相手を恨まず「災禍を自然災害のように、まるでツナミでもあったかのように受けとめていた」からだ。
 この時すでに兆候はあった。いまや「悪」はもはや自然にも人間にも帰属させ得ない。それはデュピュイの言う「システム的な悪」として、常に私たちを共犯関係に巻き込もうとするだろう。
 人間の制御と想像の範囲を超えた技術とシステムがもたらす災禍は、アンダースの予言通り、かつてない「最も憎しみを伴わない戦争」に至る。そう、私たちが現在「フクシマ」を巡る戦時下にあるように。もし「東電」と「原子力村」こそが敵だ!と割り切れていたら、どれほど楽だったろう。
 現代においては悪意や愚かしさ以上に「思慮の欠如(thoughtlessness)」こそが災禍の原因だ。私たち自身の、多領域にわたる重層的な判断と近視眼的な決断こそが、システムの暴力をもたらすからだ。このときシステムが外在化され聖なるものとして扱われるとしたら、それは私たちの認知的限界ゆえである。
 このような状況は、いかなる予言をも無効化するだろう。確実に予想される災厄の予兆を前に、私たちはなすすべもなく立ちすくむ。アウシュビッツの駅に到着したユダヤ人たちが虐殺の現実を信じようとしなかったように。
 デュピュイが提唱するのは「覚醒した破局論」だ。それは人類の自己破壊を「未来に刻まれ運命として凝固したもの」として扱う。未来の破局を、既に起きた喪失としてあらかじめ悼みつつ、その予言と警告の作用に賭けること。
 ならば、いま私たちのなすべきことはただ一つ、未来において“失われた”子供たちの生を悼むことにほかならない。
    ◇
 嶋崎正樹訳、岩波書店・1995円/Jean−Pierre DuPuy 41年生まれ。スタンフォード大教授(科学哲学)。

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