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ぼくは上陸している 上・下 [著]スティーヴン・ジェイ・グールド

[評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学)

[掲載]2011年10月02日

[ジャンル]科学・生物

表紙画像

■華麗な語り問う、科学は万能かと

 グールドとドーキンス、どっちが好き? 同じ1941年生まれ。科学作家としてライバルであり、実際、激しい論争を交わした。生物は利己的な遺伝子の乗り物にすぎないと、切れ味鮮やかに登場したドーキンスよりも、私はグールドの方が圧倒的に好きだ(ドーキンスの著作を翻訳したこともあるにもかかわらず)。
 進化の単位は遺伝子ではなく、個体である。なぜなら生物は個体として生き、淘汰(とうた)は個体のレベルにこそ働くから。そういって対ドーキンス論陣を張ったグールド。彼の視線は生き物それ自体に、いつも優しく柔らかい。
 グールドの巧みさは話題の発見にある。それを呼び水に読者はいつしか華麗な世界に誘(いざな)われる。
 例えばマルクスとダーウィン。「資本論」が献本され、礼状が書かれた。マルクスの質素な葬儀に、なぜか場違いな人物ランケスターが参列していた。彼は、ダーウィンの弟子ではあるものの、マルクス思想とは正反対の保守的学者だった。しかし、ある事象を、現在から遡行(そこう)して見て、場違いだなどと判断してはいけない。これは進化の見方についての戒めでもある。グールドは、聡明(そうめい)ながら頑固な老人と才気溢(あふ)れる若人の、最初の出会いをみずみずしく再現してみせる。
 例えば「ロリータ」と著者ナボコフ。彼が昆虫オタクだったことは有名な話で、作品との関係があまた取り沙汰されている。グールドはそのほとんどを神話か偏見として一刀両断する。ナボコフは蝶(ちょう)に関するプロの研究者だった。彼にとって真理は美であり、美は真理だった。そうグールドは鮮やかに語る。そこには単なる記述のレベルを超えた感情の移入がある。
 私がドーキンスよりも、グールドが好きな理由もここにある。二人は、科学に対するスタンスが決定的に異なる。グールドには屈折があり、隠された本心がある。科学は万能ではないと。凝った文体や大掛かりなレトリックはその裏返しにすぎない。おそらくグールドはマルクスを心から敬愛していたのだ。そして美しいものを愛し、同時に言葉を愛した。ほんとうはナボコフのようになりたかったはずなのだ。若くしてガンを患ったグールドは自分の時間が有限であることをはっきりと悟っていた。それゆえ終章の9・11についての省察は悲痛ですらある。
 グールドが惜しまれつつこの世を去ってはや9年。新著が今頃読めるということは(あとがきによれば、ひとえに訳者のせいだということだが、そのぶん大変こなれた日本語になっており)読書界への全く素敵(すてき)なプレゼントである。それは同時にグールドからの最後の贈り物でもある。
    ◇
 渡辺政隆訳、早川書房・各2625円/Stephen Jay Gould 41年、米・ニューヨーク生まれ、02年死去。ハーバード大教授として進化生物学の研究に従事する一方、ポピュラーサイエンス・ライターとしても世界的に知られる。著書多数。

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