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どのような教育が「よい」教育か [著]苫野一徳/無知な教師 [著]ジャック・ランシエール

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2011年10月02日

[ジャンル]教育

表紙画像

■普遍的問いにゆきつく教育論

 教育論は難しい。原理的に語ろうとするほど「人間」や「倫理」をめぐる普遍的な問いにゆきつくからだ。取り上げる二冊は、いずれもそうした普遍的領域に踏み込もうとする野心的著作である。
 苫野は現象学に基づき、よい教育とは何かを問う。私たちに「よい」と確信させる欲望が検証可能であるとすれば、どのような教育を欲するのかという、より本質的な問いの形式が可能となる。
 ついでヘーゲルに基づき、欲望の本質に〈自由〉が見いだされる。〈自由〉への欲望は他者からの承認を必要とすることから、あるべき社会原理として〈自由の相互承認〉が導かれる。
 かくして教育は「各人の自由および社会における〈自由の相互承認〉」の実践をめざすことになる。このとき自由は、教育が保障する生徒の〈教養=力能〉を通じて獲得されるだろう。〈よい〉教育とは、〈一般福祉〉(=すべての人のための福祉)を促進するような教育である、とされる。
 ランシエールの初期代表作である後者は、19世紀の教育学者ジャコトの実践を丹念にたどる。彼は自らの教育経験と、子供が母語を習得する過程から、人間の知性の平等性を唱えた。そして「人は自分が知らないことを教えることができる」という驚くべき結論に辿(たど)り着いたのである。
 優秀で説明能力にすぐれた教師は生徒を愚昧(ぐまい)化し依存させる。しかし「無知な教師」は生徒の知性を解放するのだ。生徒を「自分たち自身で抜け出すことのできる円環」に閉じ込めることで。
 教育を論じつつ普遍的価値観に及ぶ前者のナイーブなまでの明快さと、教育論を契機とした思想実践の書である後者の老獪(ろうかい)さは対照的だ。しかし「自由」と「解放」をキーワードとするメタ教育論として読むなら、両者の違いは問いの方向性の違いでしかないことがわかるはずだ。
    ◇
 『どのような教育「よい」教育か』講談社選書メチエ・1680円/『無知な教師』梶田裕・堀容子訳、法政大学出版局・2835円

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