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アベベ・ビキラ―「裸足の哲人」の栄光と悲劇の生涯 [著]ティム・ジューダ

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年10月09日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■いまなお鮮烈、東京五輪の記憶

 東京オリンピックのマラソンで優勝したアベベは日本人の記憶に今なお焼きついている。そして彼の人生が栄光と悲劇で幕を閉じたことも。本書はそんなアベベのコーチを買ってでたスウェーデン人トレーナーのニスカネンの献身的な指導の実態のドキュメントである。
 ヨーロッパの選手を日本に運んできた帰りの飛行機を利用すれば旅費が安価だという理由で、僕はオリンピックの期間中ヨーロッパを旅した。そしてローマで東京の街を走るアベベの姿をテレビで見た。ローマを裸足で走った彼が白いソックスと白いシューズを履いていることに違和感を抱いたのを覚えている。
 無名のランナーをオリンピックに出場させるまでに導いたニスカネンは常に控えめでアベベの背後に身を隠しながら彼を叱咤(しった)激励し、オリンピック史上初の3連覇をメキシコに賭けたが途中棄権。あんなに子供のように純真で素直だったアベベは東京オリンピックの後、人が変わったように傲慢(ごうまん)で尊大に振る舞うようになり、ニスカネンとの関係もギクシャクし始めた。そして足の故障に追い打ちをかけるように交通事故に遭い、ランナーとしては再起不能の車椅子の人となった。
 それでもアベベはエチオピアだけでなくアフリカ大陸の英雄には変わりなかった。「哲人アベベ」は「すべては神様の思(おぼ)し召(め)し」と悟り、自分の思いのまま生きたことを認識しながら「試練と戦って」いたが、彼の内面の苦悩は、相当なものであったことが想像できる。また、彼を寵愛(ちょうあい)した皇帝が革命で暗殺されたのはアベベの死の2年後だった。
 一方、ニスカネンもすでにアベベから離れ、自らの人生が「無に帰してしまった」想(おも)いを抱きながら、第2の故郷エチオピアに骨を埋めたい望みも空しく、スウェーデンに没する。なんとも悲哀に胸痛む運命的な二人の生涯でありました。
    ◇
 秋山勝訳、草思社・1890円/Tim Judah ジャーナリスト・作家。英国BBCを経てタイムズなどで執筆。

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