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戦場のエロイカ・シンフォニー 私が体験した日米戦 [著]ドナルド・キーン、小池政行

[評者]後藤正治(ノンフィクション作家)

[掲載]2011年10月09日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■巨大な悲劇の中の一滴の救い

 日本文化と文学の世界への伝達という功績により、ドナルド・キーンに文化勲章が贈られたのは3年前である。先頃は日本国籍の取得および日本永住も話題となった。本書は、キーンへのインタビューをもとに構成されているが、その「原点」と「いま」を伝える書となっている。
 コロンビア大学生だった若き日、キーンはニューヨークの書店で『源氏物語』を手にする。ここに美のために生きている民族がいる——それが日本との出合いだった。
 戦争がはじまり、米海軍の将校となり、アッツ、沖縄戦も体験するが、「筋金入りの反戦主義者」、発砲したことは一度もない。やがてハワイの捕虜収容所で通訳や翻訳などに携わる。死に直面した日本兵の遺稿日記には、もはや戦争の狂気は消え失せ、「どんな文学をも凌駕(りょうが)する」深い内面の葛藤が記されていた。それが原点となった。
 表題は、収容所で流れたベートーベンの交響曲3番「英雄(エロイカ)」より採られている。音楽好きの一捕虜の所望に応え、キーンはシャワー室に蓄音機とレコードを持ち込んだ。協力要請のためではない。単に彼を喜ばせたいと思ってである。
 キーンと日本とのかかわりは他の著作でも散見できるが、あらためてキーンその人が浮かび上がってくる。それは、多彩多層なアメリカ社会のなかでも、おそらく最良の層に属するであろうヒューマニストの像である。
 戦争を憎んだ一学徒に、戦争は生涯の道を開いた。後年、それは日米両国に大いなる利益をもたらした。巨大な悲劇のなかの、一滴の救いのしずくというべきか。
 憎しみ合う関係性もいつかは変わる。人間存在のありようは国境によって区分されない。「私はもう民族という言葉や観念を嫌うようになりました」とも口にする。米寿を超えた日本学の泰斗は、いま遠くを見詰めている。
    ◇
 藤原書店・1575円/Donald Keene 22年生まれ。日本文学研究者▽こいけ・まさゆき 51年生まれ。

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