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父 高山辰雄 [著]高山由紀子

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年10月16日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■鬼籍の画家に捧げる娘の思い

 高山辰雄は宇宙や星に興味があった。それを情緒的にではなく物質的な天体として科学的に観察するのを好んだ。さらに「死ねばすべては無になる」とあの世の存在を否定し続けるモダニストであった。彼の初期の、現実を肯定したゴーギャンからの影響にその姿勢はよく現れている。
 そんな高山の娘・由紀子も父と同様、死後生を信じない知的な作家であり、映画監督でもある。彼女は鬼籍の父・高山辰雄に本書を捧げ、「父にこの本を読んでもらいたい」と哀願するように、父の思い出と愛を不思議な空気感の漂う文体で語りかける。父娘の霊魂の交流さえ感じさせて切ないものがある。
 ぼくが高山に興味を持つのはその主題よりむしろ変幻自在な技法にある。それはまるで画学生の繰り返す実験を見ているようで初々しい。主題は月(穹〈きゅう〉)であったり少女であったりするが、由紀子の関心はむしろ主題にある。彼女は他人に指摘されて初めて「技術」に眼(め)を向けるが、高山の主題を際立たせているのはやはり技法である。
 ところが元来モダニストの高山の作風世界は晩年になるに従い、さらに死に近づくにつれて幽冥の色を濃くしていく。天体を愛し、死後を否定し、見えるものを描くモダニストがなぜこうまで朦朧(もうろう)とした境涯に踏み入るのかが不思議である。現場にいた娘がどう解明するのかを期待したが作品の神髄に触れないままに終わる。無理もない。なぜなら彼女自身の感性がすでに父と共有しているので気づきにくいのかもしれない。
 高山辰雄は常に「日月星辰(にちげつせいしん)と一つ、自然と一つ」という思いと、さらに「社会の中の人間の係(かか)わり」を重視していたにも関わらず、作品はますます孤高の境地に入っていく。この現実主義の思想に反して高山の非現実性は一体何を語りかけていたのだろう。その秘密は娘・由紀子に伝わっているはずだが——。
    ◇
 角川書店・1890円/たかやま・ゆきこ 作家・脚本家・映画監督。脚本・監督作品に「娘道成寺 蛇炎の恋」。

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