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謝黎「チャイナドレスの文化史」書評 懐旧ブームで復活遂げるまで

評者: 楊逸 / 朝⽇新聞掲載:2011年10月23日
チャイナドレスの文化史 著者:謝 黎 出版社:青弓社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784787233301
発売⽇:
サイズ: 21cm/148p

チャイナドレスの文化史 [著]謝黎

 チャイナドレスは中国語で「旗袍(チーパオ)」という。外国では中国の伝統服とされてきたが、「旗」は八旗の意で、それに「長い服」を表す「袍」と合わせ、清王朝の支配階級(漢民族にとっては、外来の侵略者であった)満州族女性の民族衣装であった。大きく開けたスリットも女性を色っぽく表現しようとしたのでなく、騎馬民族であるがゆえ動きやすくするためであった。
 漢人に政権への服従を強いる策として、清の王権が確立してすぐ、まず髪形と服装から取り締まること、いわゆる「剪髪易服」——髪を剃(そ)れ、服を替えよ——を始めた。従わなければ処刑されてしまうにもかかわらず、抵抗する者が後を絶たなかった。仕方なく清政府は、妥協策を打ち出し、その一つとして、漢人女性が昔から慣れ親しんできた「上衣下裳」(ツーピーススタイルの服)の着用が許された。
 このことは南北流行の分かれ目となり、満州族の多い北京ではワンピーススタイルの「旗袍」が主流であったのに対し、江南女性がもっぱら「上衣下裳」を好んだという。
 時代が過ぎるにつれ、「旗袍」の政治的意味が薄れていくとともに、ファッション性が求められるようになった。アヘン戦争以後、西洋文化が中国に上陸し、租界が集まる上海では旗袍のデザインにいち早く西洋的な要素を取り入れるように変化し始めた。やがて中華民国になると、文学に「海派(上海派)」と「京派(北京派)」があるように、旗袍も「海派」と「京派」とに分かれていった。
 そして社会主義中国になり、特に文化大革命の間に批判対象になった旗袍が、ついに消えてしまった。その姿が再び現れたのは1990年代に懐旧ブームが起きてからだった。
 たかが旗袍、されど旗袍。この一冊に、中国人にとっての並々ならぬ存在の重みが詰まっているのではなかろうかと感じられてならない。
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 青弓社・2100円/Xie Li 66年、中国・上海生まれ。東北芸術工科大学専任講師