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エドガー・ソーテル物語 [著]デイヴィッド・ロブレスキー

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2011年11月06日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■五感動員し味わう小説の醍醐味

 アメリカ中西部を舞台とした少年と犬の物語……と思いきや、物語はいきなり釜山(プサン)の不気味な漢方薬局の場面から幕を開ける。謎めいた漢方医の予言的な言葉にひきこまれた瞬間、あなたはすでに物語の魔法にかかっている。持ち重りのする七〇〇ページ余りの本とともに暮らす、幸福な日々がはじまるだろう。
 エドガー・ソーテルは口がきけない少年だ。手話は巧みで辞書なみに語彙(ごい)は豊富だ。ソーテル犬の育成を生業とする父ガー、母トゥルーディ、エドガーとともに育った雌犬アーモンディンら犬たちの幸福な生活に、叔父クロードという不穏な闖入者(ちんにゅうしゃ)が入りこむ。そして物語は動き出す。
 デビュー作とは信じがたいほど手堅い細部と悠然たる筆致。作家自身が認めるとおり、物語のベースはシェークスピアの戯曲「ハムレット」だ。二つの悲劇にはいくつもの共通点がある。クロードとクローディアス、トゥルーディとガートルード、母を奪う叔父、父の亡霊、毒殺と復讐(ふくしゅう)のモチーフ、などなど。
 圧倒的なアメリカの大自然が、家出した少年の孤独と葛藤を研ぎ澄ます。運命の選択を巡るハムレットの苦悩は、「自分の未来を知りたければ、代わりに人生を差し出すしかない」というエドガーの思いとして変奏されるだろう。
 よく訓練され、人間に忠実な犬たちの無言の思いが、この壮大な悲劇に彩りを添える。物語のライトモチーフに、あの“忠犬”が登場するという、日本人には嬉(うれ)しい驚きもある。
 エドガーの手話による犬たちとの“会話”こそは、本書における最大の「発明」だろう。言葉を介した会話よりも、はるかに直接的なコミュニケーション。もちろん犬は擬人化されない。それはエドガーの沈黙を介して犬にまで共感が及ぶという、人称を越えた体験なのだ。五感を総動員して文字を味わうという、小説の醍醐味(だいごみ)がここにある。
    ◇
 金原瑞人訳、NHK出版・3990円/David Wroblewski 作家。米国コロラド州在住。

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