書評・最新書評

海にはワニがいる [著]ファビオ・ジェーダ

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2011年11月13日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■決死の旅8年間も、少年の実話

 旅の宿で10歳の息子に三つのことを約束させて、翌朝忽然(こつぜん)と母は姿を消した。その三つの約束とは、麻薬に手を出さない、武器を使わない、盗みを働かない、以上。
 アフガニスタンからパキスタンに置き去りにされた孤児同様の少年が、度重なる生命の危機に遭遇しながら8年間にわたる決死の密入国の旅を続け、イタリアに安住の地を得るまでの想像を絶する冒険譚(たん)のドキュメントである。
 タリバーンらの迫害から息子を守るために隣国パキスタンに連れ出さざるを得なかった母の辛(つら)さ以上に、少年の苛酷(かこく)な毎日の生活は人間でいることさえ怪しくなるほどだ。10歳そこそこの子供がどうしてこのような運命の苦境に投げ出されなければならないのか、読む間中、その疑問が頭から離れなかった。
 少年の8年間の成長物語だと言ってしまえば簡単だが、このドキュメントはジュール・ベルヌの冒険小説ではないのである。だから読者は主人公のエナヤット少年の生の魂と共鳴して、人間の運命について深く考えさせられてしまうのだ。
 エナヤット少年が絶体絶命の窮地に立たされた時、どこからともなく微風が吹いてくるように救いの手が差し伸べられる。西洋には運命の女神がいて、危機に瀕(ひん)した人の先回りをしてその人を救助したり、人間を介して天使がその役割を果たしたりするというような話をどこかで読んだことがあるが、なぜかそんな奇蹟(きせき)がこの少年には起こるのである。断っておくがこの書物は精神主義的な啓発書とは全く無関係な、ヒリヒリするような事実の連続だ。表題の「海にはワニがいる」というのは、本来危険でない場所にさえ危険が潜んでいるという意味に僕は解した。
 この少年のように人生を肯定的にとらえ、且(か)つ勇気があれば、運命に流されない強度な人生が得られると示唆されたような気がした。
    ◇
 飯田亮介訳、早川書房・1470円/Fabio Geda 72年生まれ。イタリアの作家。

関連記事

ページトップへ戻る