書評・最新書評

物理学史への道 [著]辻哲夫

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2011年12月04日

[ジャンル]科学・生物

表紙画像

■近代日本でどう発達したのか

 本書は多様な光を放っている。つまり、いかようにも読める。物理学が近代日本でどのような発達をしたのか。西欧世界の学問の枠がいかに簡略化して日本に持ち込まれたか。ある時期まで基礎理論(石原純、湯川秀樹の二人が目立った)がなぜ弱かったか。そもそも物理学と名付けたのは誰で、いつごろか。などを、十七世紀のガリレオ、ニュートンによる科学革命の時代から説き起こし、日本人がこの学問にどのように関わったかを平易に解説していく。
 いかようにも読める、という理由は、日頃社会科学、人文科学の書に慣れている読者(例えば私)にとって、たぶん著者の意図とは別の読み方ができるという意味だ。私が惹(ひ)かれたのは三点である。その一は、日本の物理学導入は、「西欧の近代的な学問の代表」として受け入れられ、「思想的機能をまったくはぎとられた貧困の姿」で始まったという指摘。その二は、「日本の物理学者は、その専門の知的活動があまりにも伝統文化とかけ離れていた」ために、寺田寅彦の随筆、石原純の和歌、朝永振一郎の随筆などはその埋め合わせの意味があったとの分析。その三は、科学・技術の振興が声高に叫ばれたのは、「わずかに第二次大戦の開戦前後二、三年」という記述である。
 これを裏返せば、その一は、官製の意味合いが濃いということだ。明治初年代、伊藤博文が、英一番館に相談した工学教育のもちかけに端を発している。その二は、物理学者たちの知性とこの国の歴史との遊離に対する不安ということだろうか。その三は、戦争という目的に沿うことのみが要求された時に最も必要とされた学問であった。
 物理学者から物理学史に転じた畏友(いゆう)の生涯を冒頭でなぞりながらの筆の進め方には、この学問にいかに人間味を吹き込むかの意図がある。それゆえに著者の語る科学者の小伝にも多々考えさせられる。
    ◇
 こぶし書房・3780円/つじ・てつお 28年生まれ。東海大名誉教授。著書『日本の科学思想』で毎日出版文化賞。

関連記事

ページトップへ戻る