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すべて真夜中の恋人たち [著]川上未映子

[評者]穂村弘(歌人)

[掲載]2011年12月11日

[ジャンル]文芸

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■平凡な世界で「特別」を感じる

 恋愛小説である。いや、恋愛未満小説かもしれない。地味な主人公と地味な相手。事件らしい事件は起こらない。だが、その平凡さの中に特別な何かを感じる。
 〈わたしはひどく落ちこみ、何かをやってしまったことによる後悔よりも、しなかった後悔のほうが応えるというよく耳にする話はほんとうじゃないんじゃないかと、そんなことをぼんやり思ったりした〉。ここには、「わたし」だけが他人と違う、という感覚が描かれている。
 〈今まで数えきれないくらいこうやってコーヒーや紅茶を飲んできたのに、いただきますと言ったのはそれがはじめてだった〉。ここには、「今回」だけがいつもと違う、という感覚が描かれている。
 或(あ)る出来事において、「わたし」が他のどの人とも違っていて、「今回」が他のどの回とも違うのは、本来は当然のことだ。だが、我々はそんな風に思うことが難しい世界に生きている。
 テレビや雑誌の中には、貴方(あなた)は貴方なんだから胸を張っていいんだよ、というメッセージが溢(あふ)れている。だが、何故(なぜ)かそう繰り返されるほどに私は苛立(いらだ)って不安になる。
 主人公である34歳の「わたし」に恋愛やセックスの経験が殆(ほとん)どないことは変でも惨めでもない、と心から思うにはどうすればいいのか。「今回」に限って人を好きになってしまったことは変でも恥ずかしくもない、と心から思うにはどうすればいいのか。
 本書の魅力は、この点に関する稀(まれ)にみるほどの本気さにある。静かな物語の一行一行に、「わたし」だけの、「今回」だけの、希望と絶望を肯定する声が充(み)ちている。誕生日の真夜中にたった一人で街を歩くこと。片思いの相手を呼び止めて「光をみるのがすきで」と意味不明な言葉を口走ってしまうこと。その全てが掛け替えのない「わたし」の「今回」であることを胸の底から告げようとしている。
    ◇
 講談社・1680円/かわかみ・みえこ 76年生まれ。作家。『乳と卵』で芥川賞。『ヘヴン』で紫式部文学賞。

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